婦人画報 2018年3月号
日本のケーキ
よく おいしいスイーツのお取り寄せをネットでもされている雑誌だ
積読からひっぱりだしてきた
昔から皇室スイーツに興味がある
例の富士山のアイスクリームに関することがのっていたので覚書
モンブランの横のページに
ニッポンケーキ 解体新書 撮影 石井宏明 とでているページ
鉛筆の先に出ている
1895年 明治28年
天長節祝賀として鹿鳴館で行われた晩餐会のデザートに出された パルフェ・フジヤマ
日本最古のパフェの記載とされていますが、それはまさに富士山の姿を模したアイスクリームのケーキでした。
昭和30年代から40年代にかけて 国内のいくつかのホテルでこれを婚礼の席に出すことが流行となり、ホテルニューオータニでも数多くこのケーキが作られました
当時の記憶を受け継ぐのが、パティスリーSATUKIのシェフパティシエを、、
中略 中島眞介シェフ
当時はメレンゲ主体の ベイクドアラスカなど ゲストの前で切り分けるような 魅せる ケーキが流行りました 富士山パルフェもその一つです
中略
制作に5日
高さ20センチ 切り分けると10人分になる
中略
今回 プリンアラモードなどに使う舟形のガラス容器を使い一人分のパルフェとして再解釈
中略
もともとホテルの創業者 大谷米太郎は富士山をゲストに見せたくて回転展望レストランを作ったほど富士山にはこだわっていた
この回の日本のケーキについてはしっかり婦人画報のホームページがあるので
これがいま人気の【日本のケーキ】投稿数・人気ベスト10を総まとめ◆プロが最新作をおすすめします。気に
もちろん
チーズケーキもでています 3位だけど
wikipediaによると回転式ニューオータニホテル レストランは
VIEW&DAINING THE Sky(東京都千代田区紀尾井町) ホテルニューオータニのザ・メイン17階。ビュッフェスタイル+バー。2018年現在は回転機能停止中[6]。
ホテルニューオータニは1964年開業
最初に富士山アイスクリームとさっきの本に出ていた晩餐会は
天長節の祝賀舞踏会、 鹿鳴館 (1886 (明治19) 年11月3日)
三島由紀夫 の戯曲 『鹿鳴館』 は その夜の舞踏会が舞台である
私はてっきり富士山のアイスクリームは天皇の料理番 秋山徳蔵氏考案だとおもっていました
秋山徳蔵氏は
1914年(大正3年)に予定されていた大正天皇即位の礼のためにフランスから帰国し
1915年(大正4年)の大正天皇の御大典で18か国の賓客を本格的なフランス料理でもてなす。
この晩餐会で富士山のアイスクリームが出た記録があります
taberunodaisuki.hatenadiary.jp
その20年くらい前からこのアイスクリームのメニューだけは
あったということなのですね
それ以外に
エスコヤマの小山進さんの制作
世界に一つだけのオーダーケーキ あらしのよるにの写真
解体新書2として
菓子研究家のケーキが日本を明るくする で
ミディ・アプレミディの津田陽子さんが
福島県で地元果物をつかったケーキ作り
エートル・パティス・キュイジーヌの大森由紀子さんが 米粉をひろめ
のせ菓楽
の話がでていました
解体新書3は
をかし タイチロウモリナガ
大丸神戸店にあるチョコレート屋さん
名匠のケーキとして
オーボンヴュータン Au Bon Vieux Temps 河田 勝彦シェフのコロンビエ
河田さんはアンゼリカにこだわります 水辺に生えるフキ科の植物でフランス西部の二オールで採れ、そのコンフィ(砂糖漬け)はフランス菓子に欠かせません。
ただ日本では滅多に手に入らないため、代わりに北海道十勝で採れるラワンブキを使います
店では100キロ以上コンフィにして1年分を作り
ラワンブキ以外は味がなく 代用がきかない
生では糖度が足りず、日持ちがしないという理由から 昔からフルーツはどう加工するかを考えてきました
コンポート(薄いシロップで煮る)
ミ・コンフィ(糖度55%)
コンフィ(糖度65〜70%)などがあり、中でも本当の深みを出すならコンフィがいい
フルーツケーキの中でもこうしたアーモンドベースの生地は珍しく
160度で50分 砕いたアーモンド アプリコットを順にかけて艶出し
赤く着色して刻んだアーモンド コロンブ(白い鳩)
パティシエ・シマ PATISSIER SHIMA 島田 進シェフ レモンケーキ
大長レモンを島田さんがケーキに使い出したのは6年前
レモンは追熟して出荷 オーガニックで小さめのものを 中台農園から送ってもらいます
皮と身を使うのでオーガニックのものでないと安心できない
このレモンケーキは50年前 ルコント での修行時代に島田さんがアンドレ・ルコントから学び 定期的につくってきたもの
ルコント 氏がホテルオークラのシャフパティシエとして来日した1963年当時は、日本の素材を使ってフランス菓子をつくるさきがけでしたが、
ルコント 氏がホテルオークラ在籍時からあったレモンケーキ それを島田さんが再解釈 メレンゲの量が薄いと大長レモンの味がのらないためこの形状になった
オ・グルニエ・ドール PATISSERIE AU GRENIER D'OR 西原 金蔵シェフ りんごのタルト
アラン・シャペル直伝 農家の人にも生活がある いいとこ取りだけはできない B級品も使う必要もあるといった言葉に忠実にりんごの等級にはこだわりません
中略
9月初旬〜10月中 津軽
10月中〜12月内 紅玉 フ紅玉は2.5〜3mmにスライス
それ以降はフジかサンフジ フジは2mmにスライス
そのような話がでていました
ルコント さんのお菓子が
日本の洋菓子のターニングポイントだったという話は
吉田菊次郎さんのご本にも出ていましたね
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