再現 明治天皇の晩餐(さん)会~近代日本の外交デビュー秘話をみての覚書

再現 明治天皇の晩餐(さん)会~近代日本の外交デビュー秘話~ - NHK

をみての 覚書

 

すごくいい番組だった

以前に天皇の料理番のドラマを見てから晩餐会については興味を持っていました

こんな年末年始のすきまに2018年12月30日 NHK BSプレミアムだけとはもったいない

 大事と思ったところだけ覚書

近代日本の世界デビューを支えた宮廷外交の内実を語る資料を発掘。明治天皇の晩餐会を再現! 豪華絢爛な料理に洋食器、手探りのレシピ。給仕の舞台裏をドラマ化!

さまざまな資料を読み解き、明治天皇の晩餐会の様子を再現する。不平等条約の改正を目指し行われていた「宮中晩餐会」で、どんな賓客を迎え入れ、どのようなおもてなしをしたのかひもといていく。
嵐山光三郎 君塚直隆 高橋光臣 遼河はるひ 三宅民夫

 

 

最近 秋山徳蔵が収集したメニュー表から

(味の素食の文化センター貯蔵 現在ホームページで

秋山徳蔵著書 仏蘭西料理全集 ネット公開されています)

どれが実際につかわれたものかが特定され

その中でも一番豪華だった

1887年のロシア皇帝の従兄弟が来られた時のメニューを再現する企画

それにともない

歴史のうらがわについてのレクチャーがある

 

 

明治記念館 統括総料理長 青柳 義幸シェフ

 フランス・ レストラン文化振興協会代表 大沢晴美氏

 五百籏頭 薫 東京大学大学院法学政治学研究科教授

などがアドバイザー

 

 

 

場所は旧赤坂仮皇居御会食所 

御会食所の歴史についてでていた

そもそもは明治に結ばれた不平等条約をなんとかしたい

歴史では鹿鳴館の舞踏会とならいましたが、

実は 宮中での晩餐会(上の階の接待 こちらは平等に 他に下の階の接待 尽力してくれそうな人だけ政治家たちなどが個別に接待したそうである  五百籏頭教授のお話)

 

ということで

 レベルが高い国だ と示すためにまず食器を買い込んだ 明治8年

銀食器なども含め 1500点ほど 8442ポンド 今のお金で数億円らしい

その当時英国の新聞に載るほどだったらしい

実際 英国王子が宮中接待された時 うちにあるのとおんなじ

と語っていた(実際の映像では 皿の真ん中のデザインが英国は天使のついた家紋?

日本のは明治天皇陛下のマーク)

 

実際にヴィクトリア女王より賞賛されたという 今はなくなっちゃったミントン社(陶磁器メーカー)にいき その資料がでていた

 

 

さて、 なんで 食器は英国だったのに フランス料理?

ってことでしたが、

番組によると そのころ

 ウィーン会議 フランス革命ナポレオン戦争終結後のヨーロッパの秩序再建と領土分割を目的として、1814年9月1日から開催された。つまりフランスの負け戦処理の会議

そこで有利になりたいタレーランが胃袋から懐柔にでたということ

 天才料理人をつっれていった

マリー=アントワーヌ(アントナン)・カレーム(Marie-Antoine(Antonin)Carême,

1814年に始まったウィーン会議の間、タレーランはたびたび夕食会を主催した。そこで出された料理は出席者の評判をさらい、カレームの名は一躍有名になった。ウィーン会議が終わったときヨーロッパの地図と上流階級の食べる料理は刷新される事になる。 wikipediaより

 と

彼の料理を食べた国のトップたちは 

1番といえばフランス料理

となったそうである

 

 明治4年11月(1871年〜)岩倉遣外使節団もフランス料理をおそらくそこでたべたであろうとでていた

 

新宿御苑で そのころでまわっていなかった食材を栽培していた

アーティチョーク クレソンなどのハーブから フルーツに至るまで

 

御雇外国人もでてきました

 

アレクサンダー・ゲオルク・グスタフ・フォン・シーボルト

フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの長男で、幕末に在日英国公使館の通訳を務めた後、明治政府にお雇い外国人として40年間雇用された。不平等条約の最たるものとして知られる日墺修好通商航海条約協力した  wikipediaより

 

オットマール・フォン・モール

 1887年から1889年にかけて、妻のワンダ・フォン・モール(元姓フォン・デア・グロウーベン伯爵)とともに、東京の宮内省の顧問になり、ヨーロッパの宮廷儀式を導入した。  wikipediaより

 ルイ・ドゥエット

  晩餐会での給仕たちの指導をした人物

  駐日ロシア公使館に勤めていたベルギー人 と紹介されていたような

 

それまでは 食器は落とすわ

けっこう悲惨な給仕だったらしい 

 

 

さてメニュー

あの当時は 真ん中盛り付けの彫刻みたいな大きな盛り付けから

給仕が一人一人のそばまで大皿で持ってくるスタイルへの移行期だったので

とりわけしやすい大皿 そこからとって給仕のスタイル

 

ポーチドエッグとクルトンのポタージュ

メルルーサのオランディーソース  メルルーサ:白味魚

ヒレ肉のマッシュルームソース

ロシア風シャルロット (側面はフィンがビスケット 中生クリーム)

フルーツゼリー

ボンボンケーキ

チーズ

フルーツ

小菓子

盛り合わせ

 

 

再現されていたのは

フォアグラのアスピック香草添え

 フォアグラで作ったテリーヌ 中央トリュフのうらごし これをケーキみたいに積み上げて いろんな形のコンソメゼリーで飾り付け

 

ヒレ肉のトリュフ添え ジャガイモのグラタン風 アーティチョークと鶏肉のすりみ

ヒレ肉には豚の背脂を所々挟んで(昔は肉が固く、血が臭かったので柔らかくするためによくそういう調理法をやっていたらしい)

 

羊のロースト、うずらのローストとともに サラダとコンポート添え

ウズラはジャガイモで作った網にいれて

高貴な人は 上の方にいる(つまり鳥)高貴?な食べ物をということでウズラらしい

 

 

ときに

ヒレ

骨つき鶏肉

仔牛モモ肉

羊ローストとウズラロースト

というように 肉づくしメニュー があったり

17種類も品が出てくることもあった

 

デザートについて特に学びたかったのだけど

そこはあまり出てこなかった

デザートは何品も出てきた

 

そうそう アイスクリームがでてた

木の枠に氷と塩を入れてかき混ぜるの

ミックスアイスクリーム

チョコ いちご オレンジ メロンのアイスが再現されていました

 

 

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