ミュージカル マリーアントワネットを見ての覚書など

ミュージカル  マリーアントワネット

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今回は ダブルキャストが多かった

同じ人に いろんなバージョンを見てもらうため?

役者の体力温存のため?

最近ダブルキャストが多いと思います

 

 

初回のバージョン みていません

CDもっています

題名はマリーアントワネット

ただ MA とマークがでているのは2人のMAかと

マリー・アントワネット

マルグリット・アルノー

前作では説明があるが 今回はなかったような気がする

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日本版のミュージカルである

wikipediaにはこうかかれている 

マリー・アントワネット』(Marie Antoinette)は、遠藤周作の小説『王妃 マリー・アントワネット』を原作とする、2006年に日本で初演されたミュージカル作品である。脚本はミヒャエル・クンツェ、作曲はシルヴェスター・リーヴァイ、製作は東宝。日本での上演の後、ドイツ(2009年)、韓国(2014年)、ハンガリー(2016年)で現地キャストにより上演された。東宝製作のミュージカルがヨーロッパで上演されるのは本作品が初めてである

 

初演と違う点? 

冒頭に出てくるカリオストロが出てこない

ラバン夫人もポールマルシェもアニエスもいない

歌詞もかなり変わっていて

なくなった歌 追加された歌

これは新版マリーアントワネットではなく ほとんど別物では??

 

レミゼラブルでもRENTでも新版といってもほとんど変わっていなかったけれど

今回のは人物の性格までかなり変えている(マリーはもっと冷たい人だった印象)

このお話は結構べつものといってもいいのかも

 

歌の変更も

100万のキャンドルはのこった

流れ星のかなた は 明日は幸せ に題名変更(父の子守唄)

愛したことだけ  歌詞が変更

心の声 もしも はメロディーはのこっているが歌詞変更

パンフレットに載っている

フェルゼン 遠い稲妻

アントワネット 孤独のドレス

オルレアン 世論を支配しろ  (イリュージョンがこれにかわったそうです)

などが増える

 

パンフレットを見ると 38曲から54曲に変わって登場人物も変わったので

全部訳詞を変えざるを得なかったとご苦労がでていました

 

上演権利管理者

マリーアントワネット 上演権は東宝株式会社

初演はシャンパンをマリーがマルグリットにかける

韓国版を見たが マルグリットがマリーにかけている

今回大阪版では同様にマルグリットがマリーにかけている

こういった変更は上演権に関わるはずだから東宝が変更を認めたということですね

調べてみたら

東宝が上演権をもっているらしい東宝オリジナルミュージカル作品は

 1970年 『スカーレット』作詞作曲:ハロルド・ローム

 1998年 『ローマの休日

 2001年 『 風 と 共 に 去 り ぬ 』音楽:佐橋俊彦  作詞:秋元康

 2003年 『十二夜

 2006年 『マリー・アントワネット

 2014 年 『 レ ディ・ベス 』

 2016年 『王家の紋章

 2017年 『 グ レ ー ト・ギ ャ ツ ビ ー 』

 2018年 『ナイツ・テイル-騎士物語-』

 

 

上演時間3時間

80分 25分休憩 75分

 

 

個人的感想

フェイクニュースに惑わされる民衆は現代とのリンク?

それにしても、異母姉妹の設定はいるのだろうか?

あの時代の女性にしては字が読める設定に必要かもしれないけれど、

前回は随分同じくらいの年齢なのに境遇がちがうということが強調されていたので

こんなに産まれとしてはちかいのに っていうのがあったのだろうけれど

今回はそこまででもないし、、

それにしても、英国などではもともと労働者階級とそうでない人々は考え方から違っていて、一般庶民であるマルグリットがことごとく王妃と自分を比べるという考え方自身がかなりその当時としては進歩的だったのではとはおもいます(もともと9歳まで学校に行っていたというのが、ほぼ貴族と同様の教育を受けていたということになっているのかな?)が、それはお話だからとして。

マリーアントワネットがでてくるミュージカルは

宝塚ベルサイユのばら

1789

それとこれ

マリーアントワネット

 

やはり日本人の感情として

最後に気品をもって死を遂げた女王像としては

 宝塚>MA=1789かな

最後までフェルゼンへの揺れる心がのこっていたりする

マルグリットが駆け寄る必要があったのだろうが、断頭台の前でころんだままおきあがらないし

マリーの最後を描いた姿としてはベルばらが一番好きだ 

 

 首飾り事件は ウィキペディアによると

マリーの破滅に直接繋がったわけではないそうだが、

それに加担したマルグリットの葛藤は描かれない

 

1789~バスティーユの恋人たち~の時も

 ロナンが父の仇をうちたいというのはわかったが

働き手を失ってメインの家を支えるべき彼が家を出たために結局ソレーヌは街に出て娼婦になることになってしまったのでは?

ロナンも結局は革命側の人に洗脳されたのでは?というような印象をもってしまって、

どの人物にも感情移入できなかった

 

タイタニックにしても

最近のミュージカルは人物が多くて誰が主役なんだか?というものが多いけれど

今回は2人の女性が主役というのはわかった

ただ、感情移入できるかというと‥‥

 

 

その後の歴史

マリーアントワネット  1755年 - 1793年

( 父 フランツ1世 1708年 - 1765年 マリー10歳くらいの時亡くなっている)

 

 マルグリットだけが架空の人物らしい

 

ルイ・フィリップ2世 (オルレアン公)

ブルボン家の分家の一つであるオルレアン家は、フランス王国の5%が領地である有数の富豪であった。公爵はその財力をもって王位を狙う野心家で、高等法院と王権との争いに介入して宮廷と対立し、革命前に最初に国王に逆らったことで自由主義貴族の代表となった。王妃マリー・アントワネットを盛んに中傷し、その政敵であったことでも知られる。

バスティーユ襲撃事件を誘発し、フランス革命が勃発すると歓迎してフィリップ・エガリテ(平等公フィリップ)を自称した。息子はシャルトル公爵およびオルレアン公爵を継承し、七月王政の王となったルイ・フィリップ1世である。

ルイ16世の処刑にも賛成票を投じた。

彼はルイ16世に代わって王位に即こうとしたとの容疑を否認したが、パリの革命裁判所で財産を没収され、1793年革命広場の断頭台で処刑された。1793年11月6日

wikipediaより

 

ランバル公妃マリー・ルイーズ

ランバル公妃は、ルイ16世一家と共にタンプル塔へ幽閉されるが、8月19日にはラフォルス監獄へと移された。9月3日、革命裁判所にて革命の正当性を認めるよう強要されたが従わなかったため、彼女が王妃の友人であり王党派であることを憎悪した民衆たちによって起きた九月虐殺の際に撲殺され、その遺体は切り刻まれた。

群集は彼女の遺骸から衣装を剥ぎ取り、身体を切断し、踏みにじった。ある一団は、その頭を槍の先に刺してタンプル塔前で王妃に見せつけるという示威行為をとった。1792年9月3日 wikipediaより

 

 

ローザ・ベルタン Rose Bertin

 ローズベルタンとも、研究している人のサイトがある wikipediaはない

 最後まで独身で 本当はかなり最後までマリーアントワネットのために働いていたようである しかし殺されず英国亡命などして でも最後は66歳で貧しい中で亡くなったらしい

 

 

レオナール・オーティエ

  レオナール・アレクシス・オーティエ 彼のことを書いた小説を読んだ人のサイトがあった。彼もけっこう最後まで王家に尽くしていたらしい。最後は不遇だったようだ

マリーアントワネットの船を乗せた髪型は映画にもでてくる

ファッションリーダーだったのでしょうね マリーアントワネット

 

 

 

今回はでてこなかった 

カリオストロ

レッサンドロ・ディ・カリオストロ(1743年- 1795年)は、稀代の詐欺師として名が広まったフリーメイソン、オカルティスト。本名はジュゼッペ・バルサーモ(。

 カリオストロは医師、錬金術師、山師、など多くの肩書きを持っており、上流階級のなかに紛れ込み、低い身分から機会を見てのし上がろうとした姿勢から、アヴァンチュリエ(山師)と呼ばれていたという。

wikipediaより 実在の人物なんですね

 

 

革命の進行

ヴェルサイユ行進は、フランス革命の際、1789年10月5日、女性を中心としたパリ市民がヴェルサイユ宮殿まで行進し、フランス国王ルイ16世をパリに連行した事件である。別名「十月事件」「十月行進」。

 8月10日事件は、フランス革命期の1792年8月10日、パリで民衆と軍隊がテュイルリー宮殿を襲撃してルイ16世マリー・アントワネットら国王一家を捕らえ、タンプル塔に幽閉した事件である。テュイルリー宮殿襲撃とも言う。wikipediaより

 

処刑日 子供達

ルイ16世 処刑 1793年1月21日

 マリーアントワネット 処刑 1793年10月16日

 

ルイ16世には妻マリー・アントワネットとの間に上記の通り、長女マリー・テレーズ、長男ルイ・ジョゼフ(夭折)、次男ルイ・シャルル(後のルイ17世)、次女ソフィー(夭折)の4人の子供(2男2女)がいたが、いずれも子供を残さなかったため、直系の子孫は存在しない。

wikipediaより

マリー・テレーズ 母方のオーストリアに フランス 英国などいろいろあり1851年肺炎で死去

 ルイ・ジョゼフ 1789年三部会の時に死亡 初演時はエピソードあり

ルイ・シャルル  監禁 虐待されたりして解放されることなく1795年6月8日死去 2000年DNA鑑定で本人と確定

 ソフィー 1787年 結核で生後10ヶ月で死去