映像'18 スイーツ一代〜65歳、人生の選択〜 オ・グルニエ・ドール オーナーパティシエ 西原金蔵氏引退までの日々のドキュメント番組 覚書

MBS ドキュメンタリー 映像'18 スイーツ一代〜65歳、人生の選択〜 
2018年6月25日(月)1時10分 放送 1時間番組


京都のフランス菓子屋さん オ・グルニエ・ドール オーナーパティシエの西原金蔵氏は65歳で引退すると以前より宣言
この引退される最後の日までのドキュメンタリー


番組の広告は 以下のサイトに
”京都・錦市場から歩いてすぐ、2001年にオープンした「パティスリー・オ・グルニエドール」。オーナーパティシエの西原金蔵さんは当時48歳。少し遅めの独立だった。基本的なフランス菓子のレシピを忠実に守り、季節のフルーツに、ちょっとしたアクセントを加えた味はシンプルながら奥深い。西原さんの店は瞬く間に話題になり、休日となると長蛇の列ができるようになった。今も客足の絶えない“超”人気店が、今年5月31日をもって閉店する。同じパティシエの道を選んだ一人息子にも、長年働いてきたスタッフにも継がせることは一切しない。オープン当初から「65歳で閉店する」と決めていたらしい。一代限りのスイーツ職人の「閉店」までの半年を追った。”
https://www.mbs.jp/eizou/backno/180624.shtml



忘れたくないことなどをメモ書き


番組の説明に
夫婦2人で2001年に始めたお店は瞬く間に人気店に 2010年に近くの民家を改造して、、と


お菓子とそこにこめられたストーリー
グルニエドールという店名はフランス語で「金の蔵」を意味 オーナーさんのお名前から


有名ケーキ ピラミッド 1991年資生堂パーラーに勤めておられていたときに考案されたチョコレートケーキ
ルーブル美術館のランドマークをケーキで表現
中はチョコムース ココアパウダーチョコレートが表面 味と食感


48歳の時に 妻の純子さんと 神戸のホテルを退職した時 2001年にオープン
最初はいろんなひとから京都でお店を出すことを反対された(絶対失敗するよって)
夫婦で細々とやる予定だった


地元に愛されるお菓子屋さんをめざす
旬のフルーツをいかして


2010年 町家を改装したお店に移転


2018年5月末に閉店は決めていた
1代限りときめていた


隣にある細長いビルの5階が厨房
階段登ってる、、、
ほそながーーーい厨房
スタッフ6人
11時オープン前 忙しい
500個のケーキつくる
冷凍ピューレ使わず 作り置きしない


自ら仕入れた柚子 自分で仕込む
仕込みをはじめて10日
ひかりをあてると透き通るまで
機械だと2日でできるのだけど、、、
ベーシックなやり方が一番と
工程がみられるから
毎日シロップをかえていく 糖度をあげていく



お菓子の器械全てに値段をはりつけている
道具の価値を知ってほしい(スタッフに)
大切にしようとおもう
計量器 10万ちょい


手が空いたら雑用をする オーナーさんもされる


全ての作業 てをぬかずに
したっぱの仕事もとても大事
おみせを支えているのはこういう地味な仕事
雑用ができない子はほかのこともできない


厨房から店へはエレベーターで
奥様 71歳 スタッフにマダムといわれ お店におられる


素材の出会い 配合 その時の心 
それらからお菓子ができてくる
お菓子に作り手のストーリーがなければいけないかな、、とおもう


ピラミッド オープニングのレセプションで感動した というところからできた
他の人が同じものをつくっても そこはコピー



ピラミッド作成の取材初めて
メインの形はチョコレートで
型に流し込む 偶然みつけたゼリーのプラスチックカップだった
(ワイングラスみたいな容器 ワインを入れる部分が逆ピラミッド)
チョコレートの特性を知っていたのでできた
中に入れるチョコレートとあわだてた生クリーム 手でおもいっきりかきまぜていた
一挙に混ぜないとムースのこの口溶けはでないらしい
ピラミッドは作るのに丸2日かかる
ピラミッドは看板メニューでいつも完売
だからといって たくさん作る 店を増やすということはしない と
自分の目の届く範囲の納得できるものしかつくらない と

スプレーをかけている場面に
規模を大きくしないのは 65歳で閉店と決めていたから とも


じぶんでかんがえた引き際
ブランドを売るという話も断った
(お客さんがもとめているのは)私の名前じゃない
私の考え方と物
ブランド化したら他の人のも合わさって違うものがうまれるかもしれないけれど、、それは私の名前がついているけれど私のお菓子とはちがうものではないか、、と
不器用なので、、


スタッフは閉店をしっていて働いている
主任の加藤さん
フランスで修行された息子さん裕勝さんは閉店後新しい店を


2月 栃木県の調理を学ぶ生徒が来て講義をうける
失敗したことをなおさない
失敗しないことを教えることが大事
調理学校を卒業して同じ仕事をしている人は1割
きびしい業界


自宅は近く
奥様の手料理
ナスを生でたべている 味噌つけて



岡山県兼業農家出身
京都のホテル
22歳調理師専門学校
1987年 三つ星レストラン アランシャペル氏に出会い
家族とフランスに
全てのデザートを任されるまでに
お金がなかったから電車にも乗らず


奥様
信頼していたから 将来これとか思ってなかった、心配もしないし
どこでもついていこうとおもった


接客はオープン当初奥様がお一人で
過労?で倒れ 透析に
腎移植 2008年
西原さんから提供受け


感動的な夫婦愛ですね、、


家族が犠牲になるということが 、、
家族との時間をというのもあって、65歳引退
得るもの 失うものを見定めておかないと、、と


成功の裏にはご苦労もあったのですね



4月
行列続く
たくさん作りたいけれど、質を落とすわけにはいかない


日向夏 白いワタの部分を生かしたお菓子
バタークリーム 生クリーム アーモンド生地


プラリーヌ アーモンドにシロップ
1本の木にたくさん実のなるアーモンドはお祝い事に使われる
閉店日に配りたい
アーモンド菓子を



5月31
いつもの倍作る 朝6時前にはもう作っている
1197個仕込みます と


妻は寂しそうですが
私はこのミッションをやりとげた という達成感 ポジティブな気持ちですと


開店前には100人以上が列
アーモンド菓子を配る


15時には完売
閉店


閉店の挨拶
奥様
私たちがお客様にありがとうございました というのですが
お客様からありがとうといってもらえた
そういうお店を作れたのはスタッフの皆様があってこそ


西原氏
こういった時間を共有することは少ないとおもいます
この体験を皆様の人生に生かしてほしいとおもいます と
口うるさく いわれていわれて だったとおもいますが
それが 先ほどのお客様の、、それにつながっているとおもいます
ありがとうございました
 なかないとおもっていたのに、、


気持ちは 晴れやかです
こんなにたくさんのお客さんにきていただいて
こうやってピリオッドを打てたのは、、
良い選択をできたとおもいます


流行り廃りの激しいスイーツ業界で
惜しまれながら店を閉じる
こんな贅沢はだれもが味わうことができることではない と



家族愛
裏方のお仕事
決断
いいお話でした
 


お店にいった時に記録は
移転前
http://d.hatena.ne.jp/taberunodaisuki/20090326/p1
移転後
http://d.hatena.ne.jp/taberunodaisuki/20180420/p1


行った時のお店の紙袋がみつかったので
記念に記録しておこう