エーデルワイスアウトレットとそのお隣4階のエーデルワイスミュージアム
最近 エーデルワイスさんのロゴ見ないから
なつかしい
ミュージアムの入り口は
ショップの隣ショップの人に声をかけて入る 1週間以上前に予約して
いやすごかった
アウトレットは上等のヴィタメールと思われるボンボンショコラや
焼き菓子が安い
ボンボンショコラは賞味期限1月くらいあったしね
ショップの正面にやはりロゴ
ロゴの左奥に見えているのがアンテノールの生ケーキ 中央写真
ロゴに向かって左手に焼き菓子ヴィタメールなどのアウトレット商品 左写真
右手側はレビアンのパン こちらは安いのかは不明 右写真
相場を知らないもので
黄色矢印が 買った焼き菓子ヴィタメール製だと思う
この濃厚チョコフィナンシェ おいしい! 個別包装はなし 6個で400円+税
同じくボンボンチョコ 6個で800円+税
調べたらボンボンは通常1個平均300円はするもの
エーデルワイス創始者 比屋根毅氏(1937年〜) さすがです
ブールミッシュ 吉田菊次郎氏(1944年〜)なども、昔のお菓子文化のご著書があり研究熱心ですごいとおもっていましたが
大きなことを成し遂げた方はご自分のことだけじゃないのですね、
文化継承ですね
ここのミュージアムは本物が展示してあって
たった200円で
すごく知識深い社員さんに説明していただけるなんて
まあ、すごいすごい
こんなの数千円はらっても価値のあるミュージアムでした
感動がすごすぎて
その後数日お聞きしたお話し、思い出していました
ということで比屋根毅氏のご著書までかってしまいました
比屋根毅氏(1937年〜)
現在代表取締役会長
エーデルワイス1号店は立花商店街のはずれにオープンされたとネットにでていました
よくある会社の 我が生涯とかでなく
この社員さんに本物の文化と歴史をというミュージアムをつくられるところがすごいですね
洋菓子の聖地は神戸といっていましたが、
アンリシャルパンティエ(株式会社シュゼット)西宮市
広く関西にお菓子の聖地はあるのですね
残念ながら両企業ともに非上場
まあ 庶民に買える額の株ではないかもしれないけれど
2002年に社長 長男の比屋根祥行氏
場所は尼崎と立花の中間 線路沿い 立花の方がちょっとだけ近い
JR立花駅から線路沿いに東へ徒歩20分。
電車好きにはちょっといい道かも
こんな写真も取れるしね
これは尼崎から25分ほど歩いた道中の写真
1966年 比屋根 毅(現会長)、エーデルワイスを創業 ⏪看板
1969年 株式会社エーデルワイスに改組 パン部門に着手
1976年 本社を神戸に移転、社名をスイス菓子エーデルワイスに変更
1978年 株式会社アンテノール設立(神戸市中央区中山手通) アンテノール北野本店オープン⏪看板
1982年 株式会社ル ビアン設立⏪看板
1989年 ヴィタメール業務提携本契約(日本)
1990年 株式会社 ヴィタメール・ジャポン設立⏪看板
入り口にメインの会社の設立看板
文字の方氏のデザインも素敵 それぞれにちがう
driessen の古いアンティークタイプのcacao ココアの缶
赤い缶
ココア専門店 アカイトリさんでみたのはこれかな?
昔のチョコレート(ココアになる前の時代の)容器、食器など
イベントの時にはこの金型でチョコを作ったりもされるそうだ
セントニコラ 聖ニコラウスの話 サンタのモデル?の型
12月6日から始まるクリスマスのイベントのお話なども
パンを包む包装紙 それを固定する巨大サランラップホルダーのようなもの(左写真緑矢印)
計量器 (真ん中写真)
パン切り (左写真パン包み紙の下)
小麦の粉を袋からさいごまでだすもの(右写真)
チョコを販売する容器 曲げわっぱのようなもの(中央写真上の方)
ドラジェ(作成食器 左写真オレンジ矢印)
アーモンドすりつぶし道具
アイスクリーム製造機 (左写真オレンジ矢印)もりつけ器
アイスクリームを保冷で運ぶ出前容器のようなもの(左写真緑矢印)
アイスクリーム用の盛り付けスプーン(左写真黄色矢印)
裕福な家庭のパンの保存用棚(中央写真オレンジ矢印)
パンを作っている人の絵(中央写真緑矢印)
昔のパンの引換えようコイン(右写真)
菓子の賞を受けた人の勲章
フェーブコレクション
チョコの型 いろいろ いろんな時代 金属 石
うさぎの形 羊の形 魚の形 キューピーの形 聖人の形
チョコは型に沿って作り大きいものでも中は空洞らしい
飴やマジパンは中は空洞ではないらしい
チョコの整形型 和三盆の型のように見える 冷えると縮むのではずれやすいらしい
フランス料理がまだ個人とりわけでなく、中央に大きく盛り付けられた時代の食器類
バターを作る器具 バターを固める容器 wikipediaにもでている昔々の(写真右)
真ん中に棒が初期のもの 緑矢印は回転式羽が中に
下のオレンジ色矢印になると樽ごと回転
左の黄色矢印、 右の緑の矢印が ベルランゴ飴製造機
飴の型 回転式で押し出す製麺機のようなもの
スペキュロスの大きな木型が奥に
実際にこの巨大スペキュロスを焼いたものも展示されていました
そういえば以前に
あなべるさん ANNABEL(神戸)であの頃は写真をとってもいませんでしたが、
ドイツ落雁?のブローチみたいな 真っ白のきれいな伝統菓子 シュプリンガレ Springerle というのを食べたことがあります
あれはそれほどスパイスが効いていなかったようにおもいます
スペキュロスとちょっと似ていました
シュプリンガレをみたのはそこだけですね説明も英語版しかない
Springerle is a type of German biscuit with an embossed design made by pressing a mold onto rolled dough and allowing the impression to dry before baking. This preserves the detail of the surface pattern. While historical molds show that springerle were baked for religious holidays and secular occasions throughout the year, they are now most commonly associated with the Christmas season
taberunodaisuki.hatenadiary.jp
もしかしたら このwikipediaにでていた型つきの綿棒も
あのミュージアムにあったかもしれません
パイを作るときに飾りきりするための円盤に持ち手タイプのパイカッター(左写真)
砂糖が貴重だった時の 塩胡椒容器のような砂糖容器(中央写真緑矢印)
サン・トノレ 菓子職人とパン職人の守護聖人とされている聖オノレだったか?記憶曖昧 レミゼラブルにでてきそうな銀の燭台(右写真)
ナポレオン時代の食器 銀 陶器 卵の形(中央写真 オレンジ矢印)
ココア ドロドロだった時代のうつわ
油膜を防ぐ蓋つきチョコレートドリンクのカップ
モンサン ミッシェル(Mont Saint-Michel)にある大天使ミカエル像は
ヴィタメールさんと関係があるらしい
公式サイトのホームページのところにその像がちょこっとだけでている
説明していただいたとおもうけれど どうして関係があるのかは忘れました
昔の砂糖 固形だった 製造機と壊す機械(左写真)
金属の筒状の絞り出し器(中央写真)
右写真 クッキーの木型 とても大きい
めん棒のようなもの 中に氷水いれられるものや装飾をほどこされたものなどもあり
ワッフル焼く道具いろいろ 時代変遷
オランダワッフルは薄く 日本では間にキャラメルペーストを挟んだタイプで売られているとの説明あり
最初はホスチアからだったようです こういったワッフルのようなの
勉強したところによると
聖餅用金型 (写真 左と中央)
カトリックでは、聖体のパンとしてイースト菌(酵母)を使わない一種のウエハースを用い、これをホスチアと呼ぶ。ホスチア (hostia) はラテン語で「いけにえ(の供え物)」という意味で、もともとは聖体として聖別されたパンとぶどう酒を指していたが、聖別されたパンの方だけをホスチアと呼ぶようになり、さらには聖餐用に作られた聖別される前の種なしパンをもホスチアと呼ぶに至った。聖餐式にホスチアと呼ばれるパンを用いるようになったのは12世紀頃からであるが、種なしパンの使用は9世紀頃に遡る。wikipedia
今では日本では、 大分トラピスト修道院などで販売されているようです
パンは小さな共同体(教会)のために発酵させない穀物と水だけのパンを薄く丸く焼き、十字の印をつけたものを使うこともあるが、多くは、その製造を専門にする修道院で穀物と水だけで日持ち良く保存しやすい、ひとりひとり用の大きさのホスチア、オブラートと呼ばれる薄焼きで味のないせんべいのようなものが使われる。wikipedia
右の写真 重そうな金の黒い蓋をあけると 今のワッフル型のようなものになっていました
ゴーフル ワッフル などはここから派生
ゴーフル(フランス語: gaufre)は、専用の型で作る凹凸模様の平たい菓子。英語でワッフル (waffle)、フランス語でゴーフル (gaufre) と呼ばれる。
右の写真オレンジの矢印 クグロフ型 金属 陶器など
マジパン成型器
立体お菓子を作るためのケーキ型
ビスケット缶 本の形の 市電のような電車の形の
昔のお菓子の缶
Jef Claerhout ベルギーの作家のブロンズ作品 ( 左写真)
左写真 ポスター クッキーの会社のもの
Anton Pieck painting Bread かな (中央オレンジ矢印)
De Beukelaerという会社のビスケットのポスター
JS Fry&Sons、Ltd. フライのファイブボーイズ 絶望、おしゃぶり、期待、憧れ、実現の 5枚の少年の絵の有名なポスター(中央黄色矢印)
右写真 昔の木製の看板
ほかにもミュシャ風のパン屋さんのアールヌーボー時代のポスターなど
右は私が作った自宅にあるミュシャ四季のパターン立体版
特に右の冬バージョンがどことなく似て入るけれどべつものかな?
そのほかには原書
マリー=アントワーヌ(アントナン)・カレーム(Marie-Antoine(Antonin)Carême,
フランスのシェフ・パティシエ。フランス料理の発展に大きく貢献し、当時は「国王のシェフかつシェフの帝王」と呼ばれていた。今日、カレームはいわゆる「有名シェフ」のさきがけ的人物として知られている。wikipedia
"Art de la cuisine au XIX siècle"(『19世紀のフランス料理術』1~3巻)、1833(未完、弟子のプリュムレが4・5巻を著し完成)
この本があったようにおもいます
エーデルワイス 比屋根毅氏はお弟子さんも多く
スペキュロスの木製は下の
池田のル シュクル シュクル LE SUCRE SUCREでもおみかけしました
山田亨シェフはアンテノールのチーフだったかたのようです
エーデルワイス関西総工場長、エーデルワイスグループ総工場長 グランシェフをへて
2017年 Le Sucre Sucre を開店
クグロフ型で焼いたみたいな
サヴォア・シトロン ビスキュイ・ド・サヴォア というお菓子もありました
その話は以下
taberunodaisuki.hatenadiary.jp
ケーキハウス・ツマガリ
津曲孝シェフもアンテノールさんのご出身
「アンテノール」の社長兼工場長を歴任した。とwikipediaに
1987年創業
パティスリー ムッシュ・マキノ
牧野眞一シェフもエーデルワイスのご出身
東京アンテノール工場長を経て1990年ベルギーの老舗「ヴィタメール」での研修後、 株式会社ヴィタメール・ジャポンの取締役グランシェフに就任。その経験を生かしエーデルワイス工場長を兼務。
1995年独立「パティスリー・ムッシュ・マキノ」開店。
とホームページに
ケーキハウス ショウタニ
庄谷 卓爾シェフもエーデルワイスのご出身
1995年「ケーキハウス ショウタニ」創業
アウトレットの正式名称は謎ですが
このお店については以下の食べログにも出ていました
https://tabelog.com/hyogo/A2803/A280304/28005658/
平成18年初版版
2006年にエーデルワイス創業40周年記念でだされた本みたい
中学卒業で家出同然に沖縄へ単身
お菓子店ではたらき 神戸へ
ロイヤルホスト創業者江頭匡一氏や三井ハイテックの三井孝昭氏にいろいろおそわったこと
近畿洋菓子コンテストで自ら作品を作り何度も賞をとられていること
会社としてもコンテストで何度も受賞されていること(40年間会社の誰かはとっている 毎年)
1966年の創業間もない頃から経営者自らが 帰ってきたら店がなくなっていてもそのときはいいというほどの気持ちでありったけのお金を持ち出しヨーロッパに菓子の修行の旅に年に1〜2回 長い時は3ヶ月くらいいかれていたこと
大賀製菓就職時代も閑散期の夏に給料なしでいいから勉強の時間くださいと3ヶ月ほど有名洋菓子店に修行にいかれていた話
東京のトリアノンさんの創業者 安西松夫先生に特にお世話になったという話
1965年第16回全国菓子博覧会出品 大阪城が洋風工芸大賞受賞
大賀製菓の大将なくなり
独立することとなった
尼崎 立花でエーデルワイス創業 7坪から
半年ほど立地がわるいため売れず
もうやめようと大量のお菓子を無料でくばったら
その美味しさに人が集まり始め
形の崩れない生クリームを開発
生シューもヒット そして生クリームブーム
家族も理解があった
ブルターニュの名店 ルビアンの三代目 ルビアン・ミッシェル氏は19歳で来日され、フランスパン専門店に彼の名前がつけられた これも、フランス修行の際に知り合った人脈から
アンテノールのロゴは比屋根毅氏デザイン
初めてのが 津曲孝氏
スイス シュプリングリ社と技術提携
ドイツ デュッセルドルフ ハイネマンと業務提携
社員 派閥作らせない スターをつくらない 一つのポストを一人に長期にさせない
製造者管理部門者も一度は店頭に デスクワークだけをさせるひともない
2002年 兵庫洋菓子協会会長就任
共同配送事業
海外研修事業
洋菓子の神様への恩返しのようなつもりでミュージアムを設立した
少しでも洋菓子文化を高めたいという思い
もうヨーロッパにもほとんど残っていない貴重なもの
洋菓子の生き字引ともいわれる顧問の平田栄三先生があつめられたもの
ベルギーの菓子美術館から譲り受けたもの
道具に込められた職人魂が私たちの仕事ぶりを見守ってくれるだろうという思い
道具をみるたび、こんなところで慢心していられない と思いを新たにする
ヨーロッパのレシピ本が650冊
1983年 東京進出メインバンクに反対されつつ
バブル絶頂期の経営危機 家族の協力と阪急塚口前の店舗売却
クッキー工場をタカキベーカリーの高木俊介会長さんと影山社長さんが高値で買い取ってくださった話
お金持ち逃げ、情報漏洩などの試練
経理の猛勉強 集金を自分で行う
フランチャイズ展開について行き詰まると予測
2002年エーデルワイスを全店閉店 150店以上あったのをおもいきって全部
一部はアンテノールに変えていった
フランチャイズ展開について考えたのはコンビニスイーツが盛んになったのを見たから
2009年第1刷
こちらは冒頭にカラー写真付き
神戸新聞に掲載された わが心の自叙伝の30回分
こちらは中も白黒の写真もあり
内容はほとんど一緒
前のでぼやかされていた 提携するはずだったけれど白紙になったのが
フォションだったと出ていた 大阪の会社が商標登録を済ませてしまっていたからだそうだ
流れたため、自社ブランド アンテノールを立ち上げられたそうだが
昭和57年中央研究所(お菓子の)を作られる
昭和58年三越銀座からアンテノールを出店しないかと声が掛かる
菓子売り場の交渉4時間 後ろには現社長の祥行氏と弟子のスイス菓子ハイジのオーナーシェフ前田昌宏氏
毎年9月1日はエーデルワイス会 お誕生日会で今までのお弟子さんが集まられるらしい
以前はお菓子などの道具のコレクションは東京と2箇所に展示していたらしい それをいつかまとめミュージアムにしたい
とこの本にはかかれています
ベルギーのお菓子文化を伝えたということでベルギー王室から王冠勲章を授与された
来年(2010年?)新工場が完成する そこにミュージアムを併設する予定 と
今はルビアンの工場があり アウトレット的な店舗があるらしい
と食べログに出ていた
https://tabelog.com/tokyo/A1313/A131303/13057761/
これだけ思い入れのある美術品を任されている社員さんは
大変でしょうね
説明してくださった方はかなりの博学でしたが、まだまだ、勉強できていません
とおっしゃっていました
そういう方だから任されているのだと思います
アンテノールさんの
新・伝統菓子 ヌーベル・パティスリーはいつも気にしています
チーズケーキが出てこないので
あまり買いませんし
お値段がはるので、そうそう買えませんが、
ブログにも以前に書いていますが、
フランスの有名パティシエさんが何人かこられ、ケーキを出されたりされていますが、
いまのところ
私がケーキで1番すごいと思っているのはこのシリーズだと思います
(チェーン展開されているケーキ屋さんの中で)
また、焼き菓子のレベルもすごいと思います
特にビスキュイテリエ ブルトンヌさんは焼きたてですごく美味しいと思います
池田のル シュクル シュクさんの焼き菓子も美味しかったですが、起源は一緒ですよね
本当に美味しいお菓子に貢献されていると思います
やはり美味しいものには、
裏にこれだけの努力があったのですね
ご本にもでていましたが、
やはりコンビニケーキのレベルのグレードアップが
ケーキ屋さんに影響すると早くにみきられたのですね
そして
高級路線だけが生き残れると
お手軽生ケーキはそのうちコンビニケーキに取って代わられると
早いうちに手をうたれたのですね
ご英断だと思います