大人はマンガを読んだらいけないの?2(24年組)

大人はマンガを読んだらいけないの?1は
http://d.hatena.ne.jp/taberunodaisuki/20150727/p1に書いています
ある本をよんだことにより 続きをかいてまとめておきたくなりました
24日の新聞に1面広告でこおご本の絵がでていて(京都精華大学の広告でしたが、、)


1月程前
少年の名はジルベール  竹宮 惠子 氏のご著書
をよみました
著者の竹宮 惠子 氏は1950年(昭和25年2月生まれなので、昭和24年学年)うまれ、 2014年に紫綬褒章受章され京都精華大学学長であり、中央教育審議会委員である漫画家さんです


1970年代
急に今までとはちがったジャンルの少女マンガがでてきて、、
中学〜大学生くらいの少女のみならず、ちょっと文学に興味のある少年〜青年まで少女漫画をよんでいた時代がありました
(現在の50歳前後の先生という職業の男性にきいてみるとこれらの本を知っていることがよくある)
あの頃
いまでは想像もできないでしょうが
ネットもなく TVはオンタイムでみるか ビデオテープというものに録画してみている時代でした
携帯電話などというものはなく インターネットもないので、情報は本 映画くらい
レンタルビデオの歴史をみると 
1977年12月、ロサンゼルスでレンタルビデオ店が開業したと言われる とWikipediaにでていますし
TSUTAYAさんのの歴史 1983年から ということからもわかりますように
映画を自宅で見ることはできませんでした
だから、皆 本 映画をみておりました
映画は映画館へ だから、映画をそのまま本にうつしとったような漫画は(劇画というべきか)その当時文化的に今より価値の高いものだったとおもいます
そのころ 文化への関心のたかい家庭には文学全集や百科事典 といった書物が所狭しと並べられていました



今回のこの本は
1970年代に少女漫画の革新を担った日本の女性漫画家の一群を指す24年組を形成したといわれる方の
その過程をえがかれたご本でした


竹宮 惠子氏の基礎になった2年間の話でした
同年代ながら東京に住み 映画(パンフレットも買える)を観る環境、手に入りにくい外国&日本の書物(特に文学)家庭環境にも恵まれ、先進的な生活をされていた増山法恵(ますやまのりえ)氏にさそわれ上京し
そして、萩尾望都氏の上京も手助けし 2年間ほど共同生活されていたときの話で
東京で2本だて 3本立てといった映画を一緒に鑑賞し 
映画のつくられた背景等をその映画を丹念に勉強(脚本 原作 各新聞批評等にいたるまで)されていた増山氏からレクチャーをうけ 
討論を続ける等の生活をしながら作品を執筆
本を読んだところから感じたのは、
そのころは情報・文化は東京に集中していてたので地方ではレコード・本等の入手も難しく、映画も見に行きにくい環境であったことから
最初は1970年 徳島からでてきた竹宮 惠子氏 福岡県大牟田市に住んでいた萩尾望都氏(おふたりほど20歳くらい)は増山氏からいろいろとおそわっていたようです
ただ、天才2人だったようで 竹宮氏・萩尾氏は一度みただけの映画の映像のコマ割が全部頭にはいってしまうようで そこらへんの議論に関しては2人の独断場になっていたようです
そんな3人の共同生活を大泉サロンといい
そこにあつまる 同年代の作家たちを24年組といったそうです
そのような 日本海外の文学 映画等の知識をすごい勢いで吸収し、それを基礎として独自に発展を遂げたのがこの24年組の少女漫画だった
と この本からわかりました
1970年代は昭和の時代で(明治の文豪たちの時代をみてもわかりますが、芥川35歳で死亡など)今の20歳よりはるかに大人びていたようにおもいます
大学まで行かない人も多く 早めに社会に出ますし 寿命だって今より短かった
そのわりには、若さ故のバイタリティーと怖いもの知らずの勢いがあった
そのような世界をかえていく動きの背景がわかる本でした





具体的には
Wikipedia等より書き出し列挙)
24年組(にじゅうよねんぐみ)は、昭和24年(1949年)頃の生まれで、1970年代に少女漫画の革新を担った日本の女性漫画家の一群を指す
24年組
青池保子萩尾望都竹宮惠子大島弓子木原敏江山岸凉子樹村みのりささやななえこ、山田ミネコ増山法恵


つまり
まだ情報がなかった時代に 映画や文学をぎゅっと凝縮し
それを一般家庭や電車で簡単に読めるものとして変革させた一ジャンルが存在していた 
ということです
漫画とひとくくりにしても
そんな本もあるのだから、
いちように漫画はおとなの読むものではない くだらない低級なものときめつけるのは、
いかがなものかとおもいます


現在はネットもあり 交通網も発達しているので 
地方でも東京と同じくらい文化に親しむことができ 勉強することができます
また ヨーロッパ他外国についても DVD 映画 ユーチューブ等によって ほぼオンタイムで知ることができ
また 気軽に訪問することもできる時代になっています
なにも劇画で学ばなくても、他の無数の手段によって、文学や海外の情報を手に入れることができます
だから、劇画を選ばなくても良い時代になったというのはわかります
ただ B級映画だってあるのに、映画は全て低俗とはならないのに
コミックだけは全て全て低俗 大人のよむものではない といいきるのは、いかがなものかとおもいます



ちなみに竹宮惠子氏は2014年に紫綬褒章受章されましたが、
萩尾望都氏は2012年に紫綬褒章受章
萩尾望都氏は漫画家としての活動のみをされていますので、受章はその作品つまり少女漫画に対しての評価と考えていいと思います
紫綬褒章は科学技術分野における発明・発見や、学術及びスポーツ・芸術分野における優れた業績等に対して、速やかに表彰するですから
日本国が少女漫画を芸術だと認めた とかんがえてもいいはずです
大人は いや子供もですが、芸術を読んではいけないのでしょうか???





大泉サロンでの交流中に影響をうけたであろう作品
1970年代(ポーの一族トーマの心臓・SF作品)
     (ファラオの墓 風と木の詩 『変奏曲』シリーズ 地球へ…


ここにはでてこないけれど、、
そういった雰囲気の作家さんを とりあえず 記録


川原 泉 1960年 生まれ
三原 順 1952年
倉多 江美 1950年
吉田 秋生 1956年
森川 久美
坂田 靖子 1953年 (ポスト24年組
魔夜 峰央 1953年 (風と木の詩のパロディー等からスタートされていた 一般的にはギャグ漫画風ですが、時々深い作品があるようにおもいます)
花とゆめ』は、白泉社発行の少女漫画雑誌。1974年5月創刊
『LaLa』(ララ)は、白泉社の発行する月刊少女漫画雑誌 1976年7月に隔月刊誌として創刊された



今では想像できないけれど 時代がちがいました 
すっかりわすれていましたが、覚え書きで 宅配もネットも携帯もコンビニもない時代、、、


Wikipedia等より書き出し列挙)
1975年 ソニー ベータマックス発売
1976年 日本ビクター VHS 発売
1996年 日本でDVD-Videoメディア及びプレイヤーの初の商用化
1996年 家庭用のDVDプレーヤーの販売


カセットテープが音楽用として定着したのは1970年代後半である。それまではオープンリールテープが普及していた。Wikipediaより
MDは、ソニーが1992年に発表 1990年代後半〜2000年代前半の筆頭的存在
1979年発売の初代ウォークマン?(カセット)
MDウォークマン 1992年〜
iPod  2001年〜


1987年 小型化携帯電話機発売 でも普通の人はもっていなかった
1994年頃から 携帯普通の人でももちはじめる
2008年 ソフトバンク iPhone発売(2007年、アップル米国でiPhone発売開始)
2009年 NTTドコモ Android搭載スマートフォンが発売(スマホとしては2000年ぐらいからあったらしい)


YouTube 2005年〜


宅急便 1976年〜   それまでは郵便小包しかなかった 古本屋めぐりしないと古本も買えなかった 新刊も本屋がないと手に入らない 発売日もわからない
コンビニ 1972年ファミマ1号店
     1974年セブン-イレブン1号店
     1975年ローソン1号店



今日でて来た本

少年の名はジルベール

少年の名はジルベール

竹宮恵子さんが萩尾望都さんをさそい そして決別をした日までの話がでています
天才といわれる萩尾望都さんのへの尊敬 憧れ 嫉妬が率直に具体的にかかれています
50年程たって やっと消化してはきだし 
萩尾望都さんと決別せざるをえなかった彼女への謝罪と経緯を書いたご本ではないか、、とおもいました
あくまで竹宮恵子さん側から見た話であって
増山法恵さん 萩尾望都さんからみたら 羅生門じゃないけれど、またちがうのでは、、とおもい
3人+山岸氏でまわった45日間のヨーロッパ旅行について萩尾望都さんがかかれているコミックが
萩尾望都-愛の宝石-  別冊付録『モーさま 世界を行く!』にかかれているので購入しました
萩尾望都-愛の宝石- (フラワーコミックス)

萩尾望都-愛の宝石- (フラワーコミックス)

私の友人にも 盛り上がっている集団にいて、ニコニコしてそこにいるのだけれど
積極的に発言せず
夜に弱くて、夜通しワイワイ討論することができず
そして 討論から得られることはしっかり吸収している という人がいます
その人はそのひとなりに、いいとこどりしてしまってずるいのでは?と悩み
最後まで賑やかな会に参加できないことを残念におもい
でも そうやって規則正しく生活するものだから勉強/仕事はそれなりに時間通りにできてしまって、、
という人がいます
天才 萩尾さんを友人と同じにみてはいけないのでしょうが、、
彼女も彼女なりにいろいろあったのだろうな、、と よみつつ思いました
天才があつまるとゴッホゴーギャンの例から見ても いろいろあるのでしょうね
皆でワイワイ夜通し討論できる 吸引力があり人が集まってくる 人に教えられる 組織のトップにたち後進の指導にあたることができる
というのも才能であるとおもいます
優秀なプレーヤーは必ずしも優秀な指導者 教師たりえませんが、
竹宮恵子さんは、その両方の才能があったのですから まだまだその才能を発揮していただきたいものだと思います