残念ながら 予約していたはいからさんが通るは公演中止となったのでいけず
しばらくいっていなかった
前に予約して中止になっていたアナスタシア再開
意外とチケット取れるので 行ってみることにした
- 友人分までチケットが取れるか
- 入口検温 キャトルレーヴ
- 発券
- 入場
- トイレ
- 劇場内 売店など
- 宝塚ホテル 和食「くすのき」
- 宝塚ホテル レストラン「フェリエ」
- カフェテリア「フルール」
- 劇団側の対策
- アナスタシア感想と歴史背景調べ
友人分までチケットが取れるか
チケットは会員だとネットで座席指定で取れる
落ち着いてからなら 近い席で座席指定で取れる
三井住友カード ミュージカル 『アナスタシア』
ANASTASIA THE MUSICAL
入口検温 キャトルレーヴ
入り口はひとつであり
全員個別に体温チェックがあった
キャトルレーヴは大劇場からは入れず 整理券がないと入れない
キャトルレーヴの外からの入り口は封鎖
いろんなところに 感覚を開けてのシールが貼られている
発券
発券は当日でしかできない
開場が30分前でなく 40分前になっていた
発券機はそのころは混んでいるが1時間前くらいならガラガラ
5台ほど発券機があり
会員のカードをかざすだけで 画面で選択すれば数枚でもいっぺんに発券できる
ホームページに
宝塚大劇場チケットカウンターでの当日券の販売はございません
入場
劇場内に入るのは発券した券にある QRコードをかざすだけである
けっこう簡単に入れる
さて 劇場内
ここも下にシールがいっぱい
ここ振り返ると一番多いトイレコーナーだ
トイレ
トイレは以前にも書いているが、何箇所かある
taberunodaisuki.hatenadiary.jp
一番数が多い 一階奥には 48+15=63室あるわけだ 女性用 全部洋式
でここに対して
今までは2列で並んでいたが一列並びになった
どちらの入り口から入ってもよく 一方通行だ 出口は右手側
63室に対して1列並びなので すさまじい勢いで列が進むが、
この蛇行を辿っていかねばならないので
足が悪い人にはお勧めしない
どちらかというと 階段にそって並ぶ方が楽
ここの列は凄まじく早く歩けないと無理である
劇場内 売店など
上の階
自動販売機 コップタイプは停止させていた
座席には密にならないようシールが
よくわからなかったのが、
上演中のご飲食はご遠慮くださいとのことだとおもったが
ホームページにはこうでていた
客席でのご飲食はお控えください(最低限の水分補給は除く)
幕間でも ここで飲食しない方がいいのかな?
ということで
幕間はレストランを予約した
私は公演メニュー 友人は天ぷらそば
宝塚ホテル 和食「くすのき」
幕の内「すみれ」 2000円
(宝塚友の会会員様は会員証の提示で1800円)
季節食材のほか、宙組トップスター 真風涼帆の出身地 熊本県と宙組トップ娘役 星風まどかの出身地 東京都にちなんだ料理を、くすのき風にアレンジして盛り込みました。
緑色の矢印 これ蕎麦の上の蓋でした
友人との間は透明の衝立がありました
なお、 劇場内の売店はアーモンドチョコなど簡単な物ばかりで
以前のようなケーキ パンはうっていませんでした
劇場内の飲食店舗は、商品・メニューを限定して提供
ブランケットの貸出しは、当面の間、中止
喫茶・軽食 「ラウンジ」でも公演スイーツはありませんでした
公演特別ドリンク「特設カウンター」もありませんでした
幕間は30分だったのが35分になっていた
また 2回目の公演は今までは15時スタートだったのが15:30スタートになっている
余裕を持って行動できる
ファンは 声かけなどせず 拍手だけして おわったらさっさと帰る
はずなのだけど、
公演スイーツ名残惜しく 帰りによりました
宝塚ホテル レストラン「フェリエ」
公演デザート「カッテージチーズケーキ」 850円
(宝塚友の会会員様は会員証の提示で800円)
ロシアのチーズ「トヴァローグ」をイメージして、カッテージチーズを使ったケーキ。
コーヒー または 紅茶
こんなの800円ってすごすぎ
コーヒーもそれなりにおいしかったし
乾燥オレンジ凝縮した酸味と甘み バニラアイスにオレンジソース
薄いタルト生地に 多分カッテージチーズとクリームチーズ
上からシュトロイゼルと粉糖
この右の写真 緑の部分が衝立なのだ
感染対策バッチリ
一人なのだけどもね
カフェテリア「フルール」
公演スイーツないと怒っていた
左の公演セットや たこ焼きは15時までなので注意が必要
するとどうだ
15時を過ぎたらこんな看板が急に出てきたではないか
なんとドリンク付きで500円ではないか
これはいかないと
つれはかえってしまい
私だけで2軒続けてケーキセットを食べ続ける
ストロベリーロマノフ 400円
※提供時間:フルール営業時間内(在庫無くなり次第終了) ロマノフ王朝時代の皇帝も食したとされるデザート「ストロベリーロマノフ」をアレンジ。
サワークリームのヴェリーヌ 400円
※提供時間:フルール営業時間内(在庫無くなり次第終了)
サワークリームのほうにした
2杯目のコーヒー
ほら、右の写真で ここも緑の線でくくった 透明の衝立がみえますか
下まできっちりある 衝立
上と下に ショートブレッドのようなクッキー 白と黒
緑のはホワイトチョコ 葉の形
中にサワーチェリー
サワークリーム入りのムース
劇団側の対策
ホームページに感染対策が色々でていました
最前列は空席
座席の最前列席は舞台前から十分な距離を取り、また、感染予防に対応した座席配置を行っております
現在、宝塚大劇場・東京宝塚劇場では、9月18日に改定された業種別ガイドライン※にのっとり、前方席は最前列ならびに花道沿いの座席販売を見合わせるなど、舞台端から2メートルの間隔を確保した座席配置を行っております。
PCRやってるんだ
出演者等に対する定期的なPCR検査を実施しております。
出演者の減員や演出の一部変更、オーケストラの録音演奏などの対策を講じております。
ラインダンス少ないなとおもったら
日程でくぎっていたのですね
宙組 宝塚大劇場/東京宝塚劇場公演『アナスタシア』では、舞台上および舞台裏での密集状況を避けるため、1公演あたりの出演者を減員します。 各日程の出演者ならびに出演日程の詳細は、以下のとおりです。A日程のみ出演B日程のみ出演※東京宝塚劇場公演より出演
アナスタシア感想と歴史背景調べ
そして
アナスタシアでしたが
アニメにでてきた ラスプーチンはでてきませんでした
登場人物が少ないので
セリフがない人が多かったかも
ストーリーはおもしろく、アニメでも使われた曲がでてきたりしました
どこから光をあてるとこうなるのかな?
舞台は最初は 1906年 祖母にオルゴールをもらった
次が1917年 舞踏会に兵士が そして処刑が
第一場は革命から10年が過ぎた となっているので 1927年頃?
wikipediaによると
日露戦争中の1904年8月に生まれた皇太子アレクセイは、当時は原因不明の不治の病とされた血友病の患者であり、皇帝夫妻は幼い皇太子の将来の身を案じていた。
日露戦争の頃 ロシアは強かったように思います
でも、フランス革命が1789年だったから それから100年は後の話
逃げなかったんでしょうかね ロシア貴族 王族
1917年3月22日、もはや君主ではなくなり、歩哨たちから軽蔑とともに「ニコライ・ロマノフ」と呼ばれる立場になったニコライ2世は、ツァールスコエ・セローのアレクサンドロフスキー宮殿で家族と再会した。臨時政府により、ニコライは家族や侍従たちとともに自宅軟禁状態に置かれ、一家は宮殿内で監視役の兵士に囲まれつつ幽閉生活を送った
1918年7月17日午前2時33分、元皇帝一家7人(ニコライ2世、アレクサンドラ元皇后、オリガ元皇女、タチアナ元皇女、マリア元皇女、アナスタシア元皇女、アレクセイ元皇太子)、ニコライ2世の専属医(エフゲニー・ボトキン)、アレクサンドラの女中(アンナ・デミドヴァ)、一家の料理人(イヴァン・ハリトーノフ)、従僕(アレクセイ・トルップ)の11人はイパチェフ館の地下で銃殺された。これにより、元皇帝夫婦ニコライ2世とアレクサンドラの血筋は途絶えた。
マリーアントワネットは幽閉ってイメージなんですが(幽閉期間:1792年8月〜1793年10月)
アニメでももミュージカルでも、ロマノフ家はすぐに殺されたイメージ持っていましたが、1年4ヶ月は幽閉でしょうか 実はマリーアントワネットより長く幽閉されていたのですね
史実から考えると
アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ(1901年6月18日 - 1918年7月17日)は、最後のロシア皇帝ニコライ2世とアレクサンドラ皇后の第四皇女。
1906年は5歳
1917年は16歳ですね ここで革命
1928年にはおばあさまは亡くなっちゃうので
舞台は1927年くらいということになる? アナスタシア26才?
おばあさま
マリヤ・フョードロヴナ(1847年11月26日 - 1928年10月13日)は、ロシア皇帝アレクサンドル3世の皇后。デンマーク王クリスチャン9世と王妃ルイーセの第四子・次女。デンマーク王フレゼリク8世、ギリシャ王ゲオルギオス1世、イギリス王妃アレクサンドラの妹。家族内での愛称はミニー(Minnie)。最後のロシア皇帝ニコライ2世の母親であり、長男一家の処刑後も10年間存命していた。
本当はフランスじゃなくって デンマークにおられたみたいですが
経済的にもどうしていたのだろうと思ったけれど甥御さんのご厄介になっていたのか?生家の財産?
生国デンマークへ帰ってしまった。甥のデンマーク王クリスチャン10世の好意でアマリエンボー宮殿の一翼にしばらく仮住まいをした後、マリヤはかつて姉と共同購入したコペンハーゲン郊外のヴィズウーア城を終の住処に定めた。
そういえば ロシア革命で日本に逃げてこられて日本の洋菓子がかわったのが、
以下のお二人
ロシアの菓子職人マカロフ・ゴンチャロフ
ロシアの菓子職人 フィヨドル・ドミトリー・モロゾフ
この話は以下に記載済み
taberunodaisuki.hatenadiary.jp
ロシア貴族ってどうやって 暮らしていたのだろうとおもって
何人か調べようとおもったけれど ほとんで出てこない
フェリックス・フェリクソヴィッチ・ユスポフ公( 1887年 - 1967年)は、ロシア帝国の貴族。グリゴリー・ラスプーチンを殺害したことで知られる
革命後、ユスポフはモイカ宮殿に戻り宝石や絵画を持ち出し 中略 パリでは以前と同様の豪華な生活を送ると同時に亡命ロシア人に資金援助を行ったため慕われていたが、そのためにユスポフ家の財産を使い果たし生活は困窮した。ユスポフは事業を起こしたが、商才のなさに加え世界恐慌が重なり撤退を余儀なくされた
ロマノフ家の処刑 wikipediaをよむと
だれが命令したかも不明 埋めた場所もいまいち不明
おばあさまも たぶん甥御さんのご厄介になって暮らしていたのでしょうし、
ロマノフ家の財産はめぼしいものはほぼ没収されているでしょうね
夢のない話ではありますが