ダウントン・アビー 知られざる貴族の作法 2016年2月放送覚書と橘玲著 上級国民/下級国民 を読んで共通点をかんじたこと

現在の歌詞がどうなっているかはしりませんが、

初回の宝塚歌劇のME AND MY GIRL

 

ヘアフォードの歌

♪ノルマンのウィリアムの時から、、続いたヘアフォード時代超えた栄光の物語

貴族には  義務がある 義務がある

ヘアフォードたちそれぞれ勤めを果たした花咲くヘアフォードストーリー♪

 

 

ノブレス・オブリージュ といわれることのようです

wikipedia

ノブレス・オブリージュ(仏: noblesse oblige フランス語: [nɔblɛs ɔbliʒ])とは、直訳すると「高貴さは(義務を)強制する」を意味し、一般的に財産、権力、社会的地位の保持には義務が伴うことを指す。 フランス語の oblige は、動詞 obliger の三人称単数現在形で、目的語を伴わない絶対用法である。名詞ではない。英語では、フランス語の綴りをそのまま英語風に読んだり、英訳・名詞化して noble obligation とも言う。 簡単に言うと「貴族の義務」である。

 

 その後 あまり考えることもなく過ごしてきていましたが、

最近見た番組で ふとこの言葉をおもいだしました

 

 

それと

現代生きる私たちと通じるところが

最近読んだ本とリンクしていたので驚きました

すぐ忘れるので とりあえず覚書き

 

 

 

 ダウントン・アビー 知られざる貴族の作法 

 2016年2月21日(日) 23:00~23:52放送回

 

実は下のサイトにとても詳しく書かれていたので

それ以外のところなど

[ダウントン・アビー 知られざる貴族の作法 (2016年2月21日放送回) ]の番組概要ページ - gooテレビ番組(関西版)

 

アラステア・ブルース解説

 Alastair Bruce

Downton Abbey  

 wikipediaによると ジャーナリストで陸軍士官だそうです

歴史学者でイギリス王室の専門家と自分で説明されていた

Major-General Alastair Andrew Bernard Reibey Bruce of Crionaich OBE VR DL (born 25 June 1960) is a British journalist, television correspondent, and British Army officer. He is the Royal, Religious and National Events Commentator for Sky News, the 24-hour television news service operated by satellite broadcaster Sky. He has also worked for the BBC, and is a historical adviser for several feature films and the ITV series Downton Abbey.

 

 

エドワード朝時代の貴族や使用人の作法

彼らにとって作法とは人生そのものでした

何にでも作法はつきもの

身だしなみ 食べ方 立ち方 話し方 

それだけで身分がわかるのでした

 

 

その人たちの生き方は 信念でもあった

なのに

エドワード朝は産業革命第一次世界大戦で大きく世の中がかわり

貴族たちは全てが変わっていくようにかんじたことでしょう と

 

豪華な食事の内容よりもマナーが何より大事であった

 

座っているときは手袋を膝の上においてナプキンで隠す

常にグラスは3つ出ている

背もたれにはもたれない

背もたれは単なる装飾品で下僕が椅子を引くためのもの

使うナイフを間違うと恥ずかしい

使用人もブイヨンスプーンなど 小さな食器についても覚えないと

 

完璧な食卓は完璧な人生の象徴

それはまた、道徳的な正しさを示す

 

 

貴族は複雑さを好んだ

執事は距離を測るための棒をもっていて

食器や他の人との間隔をはかり、銀食器に指紋がつかないように手袋を

椅子とテーブルの距離を測って、、、

 

豪華なテーブルで招待客を唸らすのが目的

第一下僕がメイン料理をはこび 第二下僕が付け合わせ

下の階では、誰が何を運ぶかによって力関係が浮き彫りになっていた。

背が高いと給金が良い

以前読んだ本でもでていた 飾り物にもなる使用人

食卓での会話の邪魔をしないように存在を消す使用人

 

 

女主人が食べ始めるまで誰も食べ始めない

食卓では、その場を仕切る女主人のコーラが決めた方向の相手と会話をすることになっている。そしてコーラが反対方向を向けば、他の者も反対側の相手と話し始めるという。

隣の人と結婚しろというのは何度目?

というセリフからもみられるように

こうした食事の作法には本来の役目をごまかす目的もある。食卓は他人に影響を与え、権力を行使し、夫を探す場だった。

 

 

イギリスの支配階級の多くは愛のための結婚をしませんでした

結婚は権力と領地のため

それにより当主は十分な収入を確保し その土地を支配する権利を得た 

 

 

当時の女性は結婚するまで地位も権力もありません、だから夫が必要だった

男性と同じ権利をもてなかった

結婚こそが女性にとっての最重要事項

結婚してやっと家を出ることができる

 

社交界デビュー

国王への謁見が済み結婚できる娘だというお墨付きを得る

そこでもいろいろしきたりあり

 

女性はグラスをならさない

乾杯とも言わない

 

上流階級の歴史をかいた分厚い本

バーク貴族名鑑

全てのイギリス貴族が載っている

アラステア氏もスコットランド王のロバート1世の子孫

財産についての記述はなく、家柄 爵位を調べる

結婚するときにも調べた

釣り合いがとれるように

 

貴族でも

たくさんのしきたり 規則にしばられている

いかに我慢することがおおいか

ほとんど感情を示すこともゆるされない

ゆくゆくは家族の望む相手と結婚しないといけない

 

 

誰と結婚するかは上の階では複雑な問題

下(召使い)は単純な問題 結婚しなかったから

 

 

使用人同士の結婚があると 女性がやめていた

仕事が全てであるべき

男女別々の寝室だったから 結婚して住むことはできなかった

ベイツとアンナの場合は特別だった

 

 

貴族の娘は 出かけられるが必ずお目付役がつく

そうでないと一生いろいろいわれる

レディには特権もあるが制約も多い

たとえば手袋をしていない というのは裸も同然という意味だ など

 

 

貴族の娘は

いつでも正しいおこないをして 

周りから尊敬される人間でないといけない

周りもそれを期待している

その期待を裏切ると

地元でももちろん ロンドンでの評判まで落ちることになる

 

 

エドワード朝の貴族のふるまいは

 単純明快な実用主義と恐れから構成さていた

気持ちを表現するのには抱きあうでなく 握手で十分

イギリス人は感情を表にださない

フランス革命の情熱に貴族たちは恐れを持ち 

冷静な人物を好ましいと考えた

貴族は格式が崩れることを恐れた

そのことにより自分たちの権限が損なわれることをおそれ

社会が崩壊すると考えた

そこで地位を守るため作法を重んじた

 

 

自分たちの地位をわきまえた上で

言いたいことをいった

考えに迷いがない

確信があるし 謝ったりしない

自信がある 言ったことに責任もとる

 

 

大きな声ではなす

自信があるし、誰に聞かれてもいいと思っている

貴族とはこういうものよってかんじ

 

 

妙な話だけど

貴族になるためには

無礼で気取った人間になる必要があるんだよ

お茶が出てもお礼をいわない

使用人はいないも同然なの

(役者としては)いつも心の中で叫んでいる おい無礼だぞって

 

 

1日に30回もお礼を言ってられないので 心の中だけで言う

 

使用人はその場でいてもいないふりをして

無表情で

(貴族は)使用人は何も思っていないとおもっている

(貴族は)使用人は外に話を漏らさないと思っている

使用人も噂話を屋敷の外にはもちださない

評判の悪い家で働いているとおもわれたくないから

名家で働いている と思われるのが使用人にとってのステイタスだから

 

 

貴族はスキャンダルをおそれた

スキャンダルは国中にひろがってしまう

 

 

使用人にとって大切なのは 口が堅いというほかに

自分の問題で主人に迷惑をかけないことが大事

多くの使用人が主人を支えていたが、主人に悩みを打ち明けることはしなかった

 

 

労働者階級の女性は名誉を守るので

お屋敷や自分の評判がおちるので アンナは乱暴されてもなにもいえなかった

100年前はそんな時代だった

(いや、今の日本つい最近までこれだったのでは、、、?家庭内DVとかも)

 

 

使用人は

主人の行動や考えを批判するようなことは絶対に言わない

使用人は主人の生活や私生活を一方的にしっている

ほとんど友達みたいだけれど

使用人と主人

使用人は常に自分の立場をわきまえているけれど

主人の方は時々忘れて友達みたいに相談することも

 

 

実用的とは言えない服装をするために膨大な時間を必要とした

働く必要がない

着替えを手伝ってくれる使用人がいる

特権階級であることを

見せびらかすために

 

 

手の込んだ服装

ティアラをするのは既婚女性だけ

手袋のマナー いつでもはめている

服装の規則の始まりは 数世紀前の奢侈禁止法

貴族以外は毛皮や絹を身につけられないきまり

 

 

朝食用 散歩 乗馬用 昼食 午後の用事 夕食用の服に着替える

あんな服装じゃなにもできないわ

コルセットであばらを締め付けられるから呼吸がしづらくて、

自然と受け身の人間になってしまう

 

 

撮影が1924年になって

より自由になって楽に動けるようになって

 女性たちは突然  自由に自分の意見を主張し始めた

コルセットから解放され 呼吸が楽になったからだとおもう

 

 

 

一方男性の服は堅苦しいまま 

夜会服は最悪だったと出演者

のりのきいた厚紙のようなシャツに文字通り体をねじ込むようで

体を曲げることもできない まるでペンギンみたいだった

 と

 

 

男性も何回も着替える

帽子もたくさん種類がある

帽子はひとめみて身分がわかる

ここぞというときにシルクハット

貴族は、お金があるからいろいろもっている

 労働者階級の男性は布製の帽子をかぶる

 

領地では 伯爵は気取ることがないのでラフな格好

でもカーソンさんはご主人のお供なので一番いい帽子をかぶる

 

この時代の人は外出時、皆帽子をかぶるのが普通

礼儀を示すのにもつかう(挨拶の時にぬぐ)

自分と同じ階級の人と話すときには帽子を脱いで話をする

 

領主が話しかけるときに帽子をぬいだ(領民の女性に) 

それは 伯爵の寛大さを示す

お付きのカーソンはそれをみて 自分もあわてて帽子を脱ぐんだ

 

 

 当時は病気の感染をおそれて握手をしなかった

 

身分には誰よりも敏感

グランサム伯爵はその身分によって村を管理する

貴族はその土地に寄生していきる 仕事を探す必要などありません

 

 

 

蓄財の作法

20世紀の初頭の貴族に蓄財の意識なし

週末という感覚もわからない

屋敷か土地を相続するか結婚する

 

成金たちがそれを脅かし始めた

貴族たちは金の話は下品だと対抗した

シーズン2のカーライルは実力でのし上がってきた人

ところが

穀物の価値がさがり、財政が厳しくなってくる

ロバートは経営ができなかった

詐欺師にだまされたり、投資話にのってしまったり

 

 

 

使用人のモールズリー

お屋敷を解雇になってしまうと、

当時は社会福祉や医療制度はないよのなかだったので全ては領主の手にかかっていた

 

 

屋敷の仕事は機械の歯車のようなもので

歯車の調子が悪いからと言ってそれをむやみに取り除いたり、油をさすのを忘れたりすると機械全体が壊れてしまうのだ

それは貴族についても言える

 

みなそれぞれの役割があり

それをはたさせてやらねばならない

貴族は義務感をもって

自分の領地の人たちの役に立つという意識をもっていた 

雇用するのが義務

使用人のいない貴族はガラスのハンマーくらい存在価値がないわ

 

 

貴族自らも奉仕しているのだ

特権と責任両方でバランスをとっていた

 

 

いま 奇妙でかたくるしいとおもうことも

その頃ではあたりまえの

苦労でもなんでもない作法だった

 

 

 

まあ、つまり

それぞれの役割が決まっていて

どう行動すべきか

どう考えるべきかはきまっていて

自由がなかったけれど

そのぶん 気楽で 

おそらく、身分制度を壊そうなどと考える人はほとんどいなかったし

自分より下の人がいるということで 今より落ちたくないとはおもっていたし

今の地位よりひくく見られることをすごく嫌がっているようだが、

ほとんどの人は

上に対して自分はなぜ生まれた時から不平等なのか

考えさえしていず、

領主は領主というだけで尊敬に値する(別の人種であるかのように)と

おもっているかのように 傍目には見える

 

 

 

 上級国民/下級国民 橘玲著 を読んでの覚書

上級国民/下級国民 (小学館新書)

上級国民/下級国民 (小学館新書)

 

 

 3章が一番リンクしていたようにおもいます

人類の豊かさは紀元前から2800年くらい

ほとんどかわっていなかった

 

それが

農業ができて人口100倍に

18世紀の産業革命によってゆたかさの爆発がおこる

 

 

1960年になるとごく普通の庶民まで昔の王侯貴族でさえ想像できなかった豊かさを手にするようになる

 

豊かさを背景に

私の人生は私が選択する

とかわってきた

 

日本では中世〜昭和前期まで 人生を選択する

などという思想を持つ人はいませんでした

長男は家業を継ぎ

次男や三男は軍人になるか都会に出稼ぎに行く

姉妹は親の決めた相手と結婚するか

兄弟の学資を稼ぐために体を売るのが当然とされていたのです

 

1960年になり

価値観 生き方が変わり

好きな職業を選び、好きな相手と結婚し、自由に生きることが当たり前になった

 

 

女性の権利獲得運動

17世紀のアメリカでは女性に選挙権はもちろん 財産権すら認められていませんでした

妻は夫の

娘は父親の所有物だったのです

 

社会が豊かになって 女性が高い教育を受けるようになると

発言力も強くなっていき

こうして

1960年代の第二期フェミニズムにおいて

男と女は全ての権利において同等である

という驚くべき主張が登場することになります

 

リベラルな社会では

私が自由に生きているのだから

私の権利を侵さない限り、あなたにも同じように自由に生きる権利がある

と考えるようになります 

 

リベラルな社会は

生まれてきたことは選べないにしても

ものごころついてから以降は、全ての人が自分の人生を自由に選択できるようにすべきだ

 

リベラルは 人種 出自 宗教 国籍性別 年齢 性的志向 障害の有無などによるいっさいの差別をみとめない

一方逆に言うと

本人のやる気で格差がでるのは当然だ

努力は正当に評価され社会的な地位や経済的な豊かさに反映されるべきだ

ということになる

 

 

前近代的な身分社会なら

相手の身分を知るだけでどうふるまえばいいかがわかりましたが、

自由な社会では外見や服装だけでは相手がどんな人間であるかは判断できなため

ちょっとした言葉遣いが厄介な紛争をひきおこしかねません 

 

前近代的な身分社会では自分が何者かの定義は

貴族 農民 奴隷などの身分によって決まっていました

しかし身分のなくなった後期近代では

自分を定義するにあたって自分を参照するのです

 

人々は

自分らしさにこだわり

本当の自分をさがし続けることになります 

 

資本と労働が対立しているときは

搾取された労働者 (しかも自分の責任ではなくそうなっている)

だから

革命を起こして世の中をかえる 

と言うことが自分であることだった

 

 現代においては

労働者は自由を持つ個人で経済的な志向も失敗も自己責任

と言うことにかわってきている

 

 

 

 

そのほか

これは 橘氏の独自の解釈ではあるのでしょうが、

動物の社会に人間を当てはめて書かれいていて

なるほどとおもったことなどを覚書

 

男性は自分の遺伝子を残すために多くの相手と交渉することが戦略的に有利

一方女性は出産授乳と長い時期がかかるので

支援と安全の確保を考える

動物の世界では強いオスがハーレムを形成し

子孫を残す&安全確保が両立している

 

 

お金をたくさん持っている人がお金持ち

お金に換算できる能力を持っている人も広義のお金もち

生殖可能年齢の女性(つまり若い女の子)は存在だけでも価値をもっているともいえる

つまりお金を持っていなくても準お金持ち だから他の層より幸福感が強いことが多い

 と考えた

 

オスはボスになるために権力闘争をくりかえし、

明確なヒエラルキーをつくる

ファミレスの男子高校生集団を見るとだれがボスかわかることが多い

 

一方

メスは進化論的にはパートナー獲得競争がオスより激しくないことと

オスからの暴力的なアプローチに対して力が弱いこともあって集団で対抗することが多いことから

つながりを作るのがオスより上手

男の空約束に対抗する手段として恋バナ 噂話で 誰が外面だけのチャラ男か 情報入手している

女性の集団はリーダーを男性ほどはみわけにくい

自分の子供を守り育てるには競争するより女同士で協調した方が有利

 

 

せっかくリーダーになっても

ほかのグループからおそわれると

たとえばチンパンーだと 授乳中の幼児を殺しメスだけを奪っていく

だから

オス リーダーは自分を目だ立たせる&自分の集団をナンバーワンにする

オスにとって リーダーであると女性にモテるは同義

 

御本にかかれていたこういったことが

管理職 名誉職に男性が多い

定年退職後に男性の方が世間との繋がりが少ない人が多い

につながっているのかな、、

 

 

いやいや 

そうはいっても 個人個人は種々で

ボスになりたい女性もあれば、

社交的でトップに立ちたくない男性もあるし、

様々

平均はそういう傾向があるよってことでしょうか

女性は階層をきにしない?

という章がありました、

 女子の国はいつも内戦 辛酸なめ子

女子の国はいつも内戦 (14歳の世渡り術)

女子の国はいつも内戦 (14歳の世渡り術)

 

 などには

女子軍団にはカーストがあると言っている人もあるし、

ボスというより

ボスグループというか 派手め華やかグループが

君臨しているそうです

そこに書かれていたのは

役職とか地位とかいうカーストでなく、もっと見えにくいカースト

女性の場合は社会的・経済的な成功とモテることには関係がありません

 上級国民/下級国民

だそうで、女性は階層以外にいろいろありそうです

集団で動いたり、仕事したり、密接に過ごすからこそヒエラルキーがでてくるのでしょうかね

日本では特にこの女性集団内カーストが顕著だとか(辛酸氏の著書によると) 

人と同じであることが理想(とはいえ、全く一緒でなくちょっと違うところが難しいけれど)とされるから特に

一方 トップ争いに距離をおいた男性の方がサバサバしている

という論も

まあ 一概に女性男性で型にはめた話をしてはいけないのかもしれません

一つの考え方 という程度に考えた方が無難なのでしょうが、

 

 

 

 

時々女性でふらっと海外にいくひとが多いのは

同じ集団だけでは遺伝子が同じになる設計がされているのか

近親婚の禁止を避けるためか

突然 群れをはなれていく霊長類ボノボのメスの行動

 につき書かれていた

女性集団はメンバー移動が頻繁におこるので

すぐ仲良くなるけれど、付き合いがきれるとあっさりしている

 となりがち

 

 

 テクロノロジーの進化はすごくて

人間の適応力を超え始めた

 

 

うんうんなるほど

もうあたらしいiphonにしても使いこなせないから

買い換える気持ちなくなりつつあるよ

 

グローバル化によって数億人が貧困から脱出したことで、世界全体における不平等は急速に縮小しているのです

ただし 世界が全体として豊かになったことにより、先進国の中間層が崩壊したのです

と 

y=1/xのようなグラフがかいてあって

y軸は頻度 人数

x軸は豊かさ の図があった

貧しい人がそれでも人数的に増え

少数のお金持ちは人数が少ないながら 大金持ちなっている

という図だ

 

 

 

 

 

うーーーん

中世イギリスは大変だったね

現代でよかった

コンビニスイーツも食べられるし 自由に出かけられるし、って思っていましたが

 

中世は中世なりに良い点もあった

自由は責任もともなうし

本を読んでいると

今後世界が分断していくんだよ というようなメッセージ

(ここは難しくて理解がおいつかなかった)

が伝わってきてそらおそろしかった

 

ここ20年くらいのiphone ネットの進化は凄まじく

働き方も変わり

それだけに 最近昔のお話を読んだり舞台で見たりすると

非常に違和感をかんじていたのは

そんな無意識の世間に対する常識の変化があったからなのだろう

なんとなく

もやもやと思っていたことが

言葉にされると

お そういうことか

とおもってしまいますが

きっと、まただれかに

実はこう言うことが裏にあって、解釈がちがうんだよと教えてもらったら

またふんふんとそちらの意見に傾くのでしょうね

 

 

とりあえず

せっかく見て、読んだので今のところの忘備録

 

 

 

共通と思ったところ

 

今となってはどうして?

とおもう

そのときはそれなりに理由はあったけれど

いまは廃れてしまった

手袋や着替えの儀式

貴族支配のための布石だったのですね

そういったことが崩れることの危機感を貴族はもっていた

 

現在 女性がものを発言し、

立場、仕事も平等にといいはじめた

夫婦別姓や、いろいろなしきたり

それを崩すことによって

男性支配の制度が崩れてしまうことへの危惧

 

なにか似ているような気がするのは私だけか‥

 

 

 

ドラマ 監察医 朝顔

 

病理解剖 大学の医師の妻

警察に勤める夫 妻の父三人で子育て 同居

三人とも深夜までの時に泊りがけの仕事をこなしつつ

交代で子育て 家事をしている

三人ともが料理でき(皿洗いはもちろん)

育児 洗濯 風呂準備なども男性陣も手伝うという形でなく

自然に交代できる様子が描かれており

現代の家庭ってこうなのか、

自分の頭の硬さを再認識させるような設定

時代は変わってきている

 

 

一方

 ハイパーミディ 中島ハルコ 2 東村アキコ, 林真理子

には 定年退職後ずっと家にいて

妻が出かけるとなると

かなり前からつまの外出がわかっていたにも関わらず

俺の昼食はどうなるのだと語る男性の姿が描かれている

主人公は夫がそうなったとしても妻側にも原因あり 知恵とお金を使いなさいと一喝している

 

 

 時代はどんどん変わりつつあって

自分もついていけるように

意識の変革をしなければね