英雄たちの選択「衛生国家への挑戦~3人の先覚者たち~」
日本人は感染症とどう闘ってきたのか?
NHKBSプレミアム 2020年08月19日 午後8:00 ~ 午後9:00
【語り】松重豊
「衛生国家への挑戦〜3人の先覚者たち〜」
日本人は感染症とどう闘ってきたのか?幕末から明治へ、日本人の衛生意識の向上に尽力した緒方洪庵、長与専斎、後藤新平。3人の遺産は、今にどう受け継がれたのか。
新型コロナウイルスに揺れる日本。日本人は世界規模の感染症とどう闘ってきたのか?第1回は、日本人の衛生意識の向上に尽力した3人の先覚者に着目する。幕末、天然痘の治療に革命を起こした緒方洪庵。その洪庵に学び、明治時代、コレラ撲滅の陣頭指揮をとった内務省初代衛生局長・長与専斎。日清戦争後、大陸帰還兵の大規模な検疫を成功させ、世界に日本の衛生力の高さを示した後藤新平。彼らは現代の危機に何を語りかけるのか?
歴史学者 磯田道史先生が このような時代に 過去に学ぶということで選ばれた歴史上の日本の感染症対策で活躍された三人の紹介
緒方洪庵
1810年〜1863年 江戸時代後期の武士(足守藩士)、医師、蘭学者である。大坂に適塾(大阪大学の前身)を開き、人材を育てた。天然痘治療に貢献し、日本の近代医学の祖といわれる。
天然痘治療 種痘の話
牛痘の接種で予防できる話(世界初のワクチン)を書物で知り
長い船旅で感染力を失うので手に入らない
医学史研究されている 佛教大学 香西豊子准教授のお話あり
1849年牛痘の輸入に成功したときき 手に入れた 福井藩の笠原良策に面会
わけてほしいとたのんだ
福井のためにやったことだから、ということで一度は断られるが 必死の頼みでわけた
大阪に除痘館を作るが 子供に接種すると牛のからだになると噂が
だれもこなくなる
牛痘の保存には種痘してそこにうえつけたのを4日〜2週間したところでうつしていくかない
米などを貧しい人にあたえて子供にうたせてもらっていた
3年で資金難に
でも打った人は天然痘にならないと評判になり うってほしいという人がふえたと
しかし、利益をえないと誓いを立てていたので
全ての利益は牛痘を広めるためにしかつかわなかった
1858年 幕府公認の種痘所となった
磯田道史先生の解説
その頃 外科は西洋医学は認められていたが、内科はあまりみとめられていなかった
日本の穢れを嫌う時期に よくやりましたね
イタリアではワクチンは個人で買えるし
うってくれる人がいたら 自宅でできる
あなたがかかったらみんながかかると イタリアにいったら 親戚にインフルエンザワクチンをうたれた
大阪の合理性 医師なので合理的にかんがえられた
日本の感染症の転機
1858年 神田お玉ヶ池の種痘所が2番目 幕府直轄 東京帝大医学部にになる
ここでは富国強兵の概念
緒方洪庵はたぶん 民草の安定をみていたのでは
長与専斎
1838年〜 明治35年(1902年)は、日本の医師、医学者、官僚。
明治8年(1875年)、医務局が内務省に移管されると、衛生局と改称して、初代局長に就任する。コレラなど伝染病の流行に対して衛生工事を推進し、また衛生思想の普及に尽力した。「衛生」の語は、Hygieneの訳語として長与が採用したものである。石黒の紹介で、愛知医学校長兼愛知病院長であった後藤新平を見出して明治16年(1883年)、衛生局に採用し、明治25年(1892年)、衛生行政の後継者として後藤を衛生局長に据えた。
衛生という考え方をひろめた
コレラ撲滅に尽力
国が土地の清潔を守っていることに気づく
自分でやる 養生
国がやる 衛生
医制という書物に衛生とかいてある
衛生局初代局長
清国でコレラがはやったと聞いた
改革に着手
予防対策
海港検疫 でも外国船取り締まる権限なく 検疫を拒否される
横浜 長崎で患者発生
西南戦争も勃発
官軍が帰還時にコレラ患者
神戸に上陸 大阪兵庫の患者が2200人に増加
統計をとって拡大を防ごうとした
避病院(隔離施設) 患者が出た家に張り紙をし人々が近づかないようにした
人々は反発する
隔離される意味がわからない しられたくない 隠蔽する
人々は警察をおそう
感染者13816人 死者8027人に増大
磯田道史先生の解説
衛生は国でないとできないと気づく
統計で戦う
怖い相手は ウイルスでなく人間の無理解
庶民のがわにはいり 説明しなければ
1883年大日本私立衛生会を設立 いろんな議論が活発になり 本も刊行された
官と民がいっしょになって
民衆が分かりやすいように解説 飲料水の問題に気づき
井戸水の汚染を防ぐためにも
近代的な上下水道をつくることにした
反対も多かったが 神田下水 4kmをつくり証明して見せることによってすすめていった
自治衛生
派手な感染症の戦いより
予防のためのシステムが大事 感染症に負けない身体を持つ国家
インフラ整備がまず衛生
ローマは2300年前から水道をひいて 他のどの諸国より疫病がすくなかった
インフラのおかげで
磯田道史氏
全て国がやるのは大変
長与専斎の懐刀
後藤新平
1857年〜昭和4年(1929年)は、日本の医師・官僚・政治家。
内務省衛生局員時代に局次長として上司だった陸軍省医務局長兼大本営野戦衛生長官の石黒忠悳が、陸軍次官兼軍務局長の児玉源太郎に後藤を推薦したことによって、明治28年(1895年)4月1日、日清戦争の帰還兵に対する検疫業務を行う臨時陸軍検疫部事務官長として官界に復帰し、広島・宇品港似島(似島検疫所)で検疫業務に従事して、その行政手腕の巧みさから、臨時陸軍検疫部長として上司だった児玉の目にとまる。
日清戦争から帰還した兵士たちの検疫を実行
20万人の兵士が帰還してくる
陣頭指揮をまかされた
4月1日にまかされ、瀬戸内海の3つの島で検疫することになった
3ヶ月後だ
いや講和条約むすんだので2ヶ月後になった
6/1に検疫開始と
そのひとつ 似島
広い敷地に資材だけ1ヶ月後に
401棟完成させた
船でまず確認
患者がいれば 病院隔離
症状なしは 陸で消毒して
清潔ゾーン 不潔ゾーンをしっかり分けた建物の設計
荷物も液体消毒
服も消毒して 巨大蒸気缶で 入れた側と反対側からでてくる
体も消毒液はいった風呂
患者と接触したとおもわれる兵士は停留 毎日診察
最大9日留まらせることが可能だった
しかし
検疫始まると
72人のコレラ 白山丸
上陸後 後から無症状の人が発症 大混乱
検疫兵も感染 死者53人
検疫兵にも戦争で倒れた兵と同じ給与待遇をと訴えた
996人の患者を隔離した コレラ 赤痢 天然痘 腸チフスなどなど
海外でも評価され ドイツ皇帝が日本の検疫にまけた といったほどだと
その後不平等条約が改正され、
日本が外国船を検疫することがみとめられた
磯田道史氏
水際対策ができる国なのです
ほめられたり 貶されたりするのはきにせずに
あとになって寝覚めのいいことだけしよう と後藤新平はいっていた
民の発想 兵士も健康にもどしていく
第二次世界大戦では兵士は使い捨てでした これは官の発想です
こんなに予見性があって、こんなに民のことをおもってくれる政治家
磯田道史氏
新型コロナでみてみても
最強の国防力を持っていても感染者が増加しているところもある
民を守る力がどれだけあるか
国民安全保障という考え方がでてくるのでは
健康であることが絶対の価値であることがちょっとちがうのでは?
不健康でも価値があるし、これをどう政治にくみこんでいくのか
だれでも老いたら不健康になる
そういえば種痘所の話かぶりで
舞台 新 陽だまりの樹
日テレプラス 8月22日(土)13:10〜15:50
本当は観にいきたかった作品
放送があるときき慌てて契約した
CS 日テレのプレスリリース(2020年7月6日 10時00分)日テレプラスでは、無観客で収録された本邦初公開映像で舞台[新 陽だまりの樹]を8月22日13:10、テレビ初放送。
手塚治虫の長編歴史漫画「陽だまりの樹」が新たな脚本と演出で蘇るーーー 2020年春、新型コロナウイルスの影響で全公演が中止となった幻の舞台「新 陽だまりの樹」 今回放送されるのは、無観客で収録された本邦初公開の映像である。
時は幕末。 太平の世の中で、いつの間にか時代に甘え、慣習に囚われ、内部が腐りきってしまった幕府。 「陽だまりの樹」のごとく、穏やかな日差しを浴びながら、幹の内部は腐りきり、いつ倒れるかわからない。 そんな時代を、それぞれの道を信じて生き抜こうとする者たちがいた――― これはあらがえない時代の流れの中で、己の役割と生き方をただひたすらに追い求め、 懸命に生きようとする名もなき者たちの物語である。
◆キャスト
上川隆也、風間杜夫、中村梅雀、葛山信吾、緒月遠麻、山田菜々ほか
◆スタッフ
【脚本】中島かずき
【演出】宮田慶子
◆制作年 2020年 東京・池袋 東京建物ブリリアホールにて無観客収録
コミックは11巻まである
これをまとめてギュギュッと
敵方なんかは何人かをまとめたり、設定をかえたりして
コミックの登場人物にあてはめていた
最後 伊武谷は彰義隊の戦争で敵役を打ち負かし 平助とともに
さあ どこに行こうかね という終わり方で
原作に出てきた妻になる人はでてこない
手塚良庵の妻も台詞だけででてこない
ちなみに平助もいい味を出していたが配役も最後の最後にささっと役名なしで流れたので俳優さんはだれか不明だ
中村梅雀さんも むかし花神でみたわ 大村益次郎 お医者さんだったよね うんやっぱり適役 え、今何歳よとおもったら
2代目さんだったのですね 非常に面影が似ていて間違えました
キャスト (2020年) wikipediaより
伊武谷万二郎 - 上川隆也
手塚良庵 - 中村梅雀
丑久保陶兵衛 - 葛山信吾
お品 - 緒月遠麻
おせき - 山田菜々
スタッフ (2020年)
脚本 - 中島かずき
演出 - 宮田慶子
そうすると原作が読みたくなる 引っ張り出してきてよんだ
陽だまりの樹 コミック
11巻まで
家にあるのは 昭和62年 ビッグコミックス 初版
ラストは
手塚良仙は九州で赤痢にかかり大阪の病院へ送られて死んだ
行年51歳であった
私 手塚治虫は彼の3代目の子孫にあたる
でおわる 手塚治虫氏のご先祖様のはなしだった
原作では
万次郎は彰義隊の戦いで亡くなった?いや生きている?というところでおわる
また、 良庵は大阪の適塾にはいるのだが
舞台では大阪に行くくだりはない
一方 江戸で種痘授業にも力をいれる
良庵は最後の方の巻になるほど外科医としての腕前をあげていく
『陽だまりの樹』(ひだまりのき)は、手塚治虫による日本の長編漫画、またそれを原作とした舞台劇、テレビアニメ、テレビドラマ。
『ビッグコミック』(小学館)1981年4月25日号から1986年12月25日号まで掲載された。第29回(昭和58年度)小学館漫画賞青年一般部門受賞。
手塚は自身の曽祖父・良仙が府中藩松平播磨守の侍医であったことをおぼろげに知ってはいたが、本作の執筆の直接的な契機となったのは日本医史学会の深瀬泰旦から手塚の先祖について書かれた論文が送られてきたことである。論文によれば良仙が福沢諭吉とほぼ同時期に大阪の適塾に入門していることから「福翁自伝」をひもといたところ良仙に関するエピソードがあり、劇中で有効活用されている。