昔の思い出

30〜40年ほど前 アメリカに数年住んでいたことがあります その頃に日本人学校でない 現地の幼稚園を少しと小学校に通っていました(年がばれます)


昨日 アメリカのケーキの話(キャロットケーキは行楽地で10年くらい前の話)をかいていて、おもいだしました。
1ドル360円のころの時代の話です。


アメリカの北の方の田舎町でした。
近所のご婦人方の作る料理は ほとんどオーブン一つで できる料理がほとんどで、、(ミートローフとか、横に付け合わせの温野菜もいれて)
もっと、手を抜く時は テレビディナー という、冷凍食品がありました。
いわゆるコンビニ弁当のような形態で、アルミでできています。
メインの肉料理 温野菜 デザートの林檎か洋梨のにたもの などがついています。
人数分を、オーブンにいれ あたためれば、できあがりです。
テレビディナー用の机まであって お盆のような物に 脚がついていて、おりたためます。

電子レンジもまだない時代 いかに大きなオーブンと 冷凍庫をみなさんもっていたのか、、今考えるとその当時からアメリカはすごいなと、、
いまもあるのでしょうか?


幼稚園授業 床の絨毯にすわります。しつけのよい?こどもだったので、ちゃんと、正座してきいていたら、後ろの子供がみえないので、男女とわず、あぐらにせよと いわれました。
誕生日の時は 誕生日の子供が クラス人数分のケーキをもっていきます。
いまでも、アメリカのドラマをみていると あちらの手作りケーキは 箱のようなどっしりした長方形ケーキで
上に かなり(日本人には)どぎつい色のアイシングで かざりつけられ、文字がかかれていたりしています。
ちなみに その当時から 箱に入ったケーキミックスは 売られていました。(こどもだったので、キット使用ケーキかは判別不明)


母は日本でも、よくケーキをつくっていましたので、マドレーヌのカップなどを持っていました。
一人一人 専用の紙カップにはいった マドレーヌ かなり好評で 驚かれたことはいまだに、記憶に残っています。


ハロウィーンのころになると スーパーに お面とマントの仮装セットが売られます。
大型アパートに住んでいたので 子供たちは 枕カバーをもって(その中にお菓子を いれてもらう) 各アパートの家庭をまわります。
お菓子は1年分くらい ありました。
夜遅く 中高生たちが 仮装も もっと凝って やってきました、ちょっとこわかった(あちらの中学生は背も高いので)のを 覚えています。


バレンタインの時も 男女とわず 全員分お菓子をもっていって、交換したおぼえがあります。
日本では 学校にお菓子を持ってきては いけません、、ですがね、、


牛乳が濃くて、、、日本に帰って 学校給食の牛乳が 水で半分に薄まって感じられて それは、つらかったおぼえがあります。
そうそう、アメリカの給食のブラウニーは最高です。
ピーナッツバターも濃かったので ピーナッツバターでつくった クッキー類もおいしかったです。(みかけは素朴ですが)
そうそれに、1回 グラハムクラッカー シナモンベースのレアーチーズケーキを どこかのお宅でごちそうになった記憶が、、、
日系の家庭だったか、いろんな国の人々がいてレシピの交換をしていたので、(大人たちは)だれかから、習って作ってくださったものだったのかは、今となっては不明ですが、、、(パパジョーンズのチーズケーキに似ていると思います)


アメリカにも そんな時代がありました。今ではどうなのでしょうね、、、
都会は NYチーズケーキ など はやっているのでしょうが、、(ドラマのケーキをみる限りでは かわってないのでは?)
日本人は 器用(アメリカでもよくいわれた)なので、田舎であっても 現在では家庭でも玄人はだしの ケーキを作っている人 多いようですが、、、。


日本のケーキは 日本人には 満足でも アメリカの人からみれば 味が薄い! なんで、こんなに小さいの? かもしれませんね。
文化って いろいろですね。


余談:子供だったので 器用といっても、千代紙で鶴をおったり 足の指でえんぴつをひろったり、(あちらでは、家の中でも靴を履いているので足指を使う習慣がない)、うーん、料理の腕とは関係ありませんね。ただ、今考えてみると 日本のほとんどの主婦は 皮むきピーラーも 林檎の芯抜き機も、じゃがいもつぶしマッシャーもなしで、基本的な調理器のみで ほとんど料理できますものね、、やっぱり、器用でしょうか、、