村上開新堂さん MURAKAMI KAISHINDO
昔からある建物、お店にちょっと興味を持ち出していた頃に
TOKKにでていました
京都店は
明治40年(1907年)に寺町二条、現在の地に初代村上清太郎によって西洋菓子舗として創業
昭和15年頃には、戦争による砂糖配給制の実施により店は休業する事となりますが、開新堂は昭和26年に再開し、30年頃より現在のロシアケーキとなる焼き菓子の製造を本格的に開始しました。また、40年代にかけては日持ちの良いバタークリームを使用したバースデーケーキ等が、京都市の来賓用の御土産としても長く使われました。50年代に入り、現在販売している缶入りクッキーの製造・販売を開始し、続いて好事福盧に変わる夏季限定の「オレンジゼリー」を顧客の要望に応え販売。
近年、4代目が35年ぶりの新商品となる「寺町バニラプリン」「マドレーヌ」を発売。
東京店は
明治初年(1868年)、村上光保(むらかみみつやす)が、国家政策の一環として洋菓子製造技術習得を命じられたことが、村上開新堂の歴史のはじまりです。
日本で初めての洋菓子専門店を営んだ初代光保、その語学力で本場フランスの洋菓子製造技術を研究・実践した二代目村上一政(むらかみかずまさ)。そして三代目村上二郎(むらかみじろう)に至って日本人の舌にあう菓子を完成させました。
日本人にあう味づくりという基本は、四代目村上寿美子(むらかみすみこ)、五代目山本道子(やまもとみちこ)と受け継がれております。
だそうです
東京は一見さんお断りのようで、こちらの方が京都風?
京都店は初めての人でも一個から買うことができ
中で素敵なお庭を見ながらイートインできる喫茶がありました
今回は京都に行った時の夏〜秋頃の記録
テイクアウト
ロシアケーキ 各180円+税
クッキーより少しソフトな生地の焼き菓子。
ほどよい甘さとフレッシュバターの風味が織りなす優しい味わいです。
5種類の異なる食感をお楽しみ下さい。
1枚より 箱入り(10個入・12個入・16個入・20個入)
お取り寄せ(10個入~)
各5種類(アプリコット・レーズン・ブドウジャムサンド・ゆずジャムサンド・チョコ)
お日持ち 製造日より14日(常温)
右から文字がかいてある ビニール袋
紙袋はエジプト模様
右上から時計回りに
レーズン
8.5x6.5x1cm 20〜25gくらい
一番華やか レーズンと赤いドレーンチェリー
絞り出しクッキーのなかに
7x5x1cm 15〜20gくらい
真ん中に伸びる黄色い酸味のあるアプリコットジャム
ほろほろクッキー生地
ブドウジャムサンド
7.7x5x1.5cm 25〜30gくらい
サンドタイプ 剥がすのは困難
赤紫色のぶどうジャム さんみほんのりあり
ゆずジャムサンド
直径6.5 高さ1.5cm 25〜30gくらい
サンドタイプ 剥がすのは困難
オレンジ色ののびる柚ジャム 柚の香りあり
チョコレート
直径6.5 高さ1cm 15〜20gくらい
柔らかい目のちょこがのっています
ダックワース 210円
名称 ダックワーズ(焼き菓子)
原材料 卵白 アーモンドプードル グラニュー糖 粉糖 バター 生クリーム 乾燥卵白 塩
賞味期限 購入 から2週間くらい
直射日光 高温多湿をさけ
鳥繁産業エバーフレッシュ入り
8x5x2.5cm 30gくらい
表面もふわっとタイプのダックワース
隠しあじの塩味が皮にもクリームにもあり
とても美味しかった
クリームもアーモンド味
イートイン
京都らしい 細長い店舗
奥の奥にイートイン
靴を脱いであがり
奥の方にゆかしいお庭がある
席は 1人用3つ 2人が2つ 4人が1つかな
お茶室のようなゆかしいアンティークな4人くらい入れる個室り
焼き菓子セット 900円
ロシアケーキ マドレーヌ ダックワーズ フロランタン ガレットブルトンヌから選ぶと珈琲もしくは紅茶
カフェ限定スイーツセット 1200円(1日限定10セット)(珈琲or紅茶)
ほうじ茶のシフォンケーキ(一保堂茶舗の極上ほうじ茶使用)⬅︎これにしました
まず珈琲用のミルクがきて
シフォンケーキ 長さ12cmくらい 生クリーム添え(甘さ控えめ)
とてもお茶の味がしておいしいシフォンケーキでした
お庭も素敵でした
その他のメニュー
ブレンドコーヒー 750円
アイスコーヒー 750円
ダージリン 750円
白桃アールグレイ750円
オレンジジュース500円
アップルジュース500円
オレンジゼリー 562円
2022年10月追記
コメントをいただきました
ここのお店は
京都の初代は東京の初代の甥で、洋菓子の作り方を教わって開業した
だそうです。
もう、京都のこのお店は東京店のネームバリューをかりなくても、
独自の歴史とお店の風格があるので、関係がなかったとしても、まったくお店の価値に影響はないとおもいます。
昔は、兄弟が多く、シュークリームで有名なヒロタさんのように、
兄弟各自が独自にお名前をつけたり、
また、家を継ぐ、養子にする、また、渋沢栄一氏のように、妻が何人もいると
それぞれの子供がお店を、名前をついだりして、
店の名前があちこちにーーと言うことはよくあることだったようです。
しかも著作権がそれほど重視されていなくて、
ネットで話題になることもなかったですし、
私の祖母も40〜50年前ごろに、「xxの風月堂といわれたものだ」(でも、菓子を作る人ではなかったので、なぜこの発言が?とおもいましたが、子供心に、そんなこといっていいのか?と思っていました)といっていたように、離れたところでは勝手にあやかりはあったようにおもいます。
コメントされた方の情報によると、
東京店のご親戚すじというご関係だそうです。
こういった、歴史のおもてに出てこない情報は、当時のことを知る人でないと得られない貴重な情報ですね。